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UPDATE:2015.10.26

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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放送局の少ない青森で全方位的に娯楽を享受した少年時代
――まず、原点となった子ども時代のアニメやマンガの体験からお聞きしたいです。1980年生まれということは、少年ジャンプの漫画が続々とアニメ化されていた時期に育ったわけですよね。
夏目
そうですね。子どものころはまさに「少年ジャンプ黄金時代」で、友だちからジャンプを借りて読むのが楽しみでした。小学校低学年は『ドラゴンボール』(84)や『スラムダンク』(90)など熱血系の作品が好きでしたが、学年が上がっていくにつれて江川達也先生の『まじかる☆タルるートくん』(88)や桂正和先生の作品にシフトしていき。やはり多感な時期は、お色気要素のある作品の方に惹かれるのでしょうね(笑)。それと、全体が漫画的な表現から緻密でリアルな描写に変わっていった時期だったと思います。
――80年代といえば大友克洋さんのマンガが席巻した時代ですし、リアルさはポイントですね。
夏目
そうした流れも強く感じていて、僕としても緻密な描写の方が好きになりました。
――アニメ化されたジャンプ作品では?
夏目
いや、僕はだいたい漫画の体験なんです。出身の青森では放送局が少なくて、アニメはリアルタイムではほとんど放送されていなかったんですね。ものすごく観たかったんですけど、むしろ昔のアニメの再放送ばかりで。
――世代的には家庭用のコンシューマゲームも直撃では?
夏目
ゲームにはハマりました。ちょうどファミコン、スーファミ(スーパーファミコン)の全盛期で、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』など、RPGにものすごく熱中していました。アクションゲームは必殺技が入力できなかったりして苦手だし、『ぷよぷよ』のように頭を使うパズル系のゲームも不得意でしたが、RPGはコツコツと努力を積み重ねれば着実に強くなれるので、大好きでした。キャラクターもドット絵から3Dに進化していく過程を体験していますが、僕はどうしても3Dになじめなくて、ゲームは途中でやめてしまうんですね。
――もともと二次元の漫画好きということも影響していますか?
夏目
そうかもしれません。やっぱり2Dの方が好きなんでしょう。ゲームで思い出深いのは「ファミコン通信」です。編集者の個性が色濃く出た雑誌で、「よく眠れる徹夜の仕方」なんて作り手の裏側が見えるユニークな記事がある。子どもなのに「あっ、椅子をこう並べるといいのか」なんて興味を覚えつつ、そこで「ものづくり」に興味を覚え始めたように思います。『スペース☆ダンディ』(14)では脚本の佐藤大さんから「ファミ通」のライターだったと聞き、「こんな身近なところに」と驚きました(笑)。
――映画はよくご覧になっていた方でしたか?
夏目
映画館も近場にひとつぐらいしかなかったので、ほとんど通わなかったです。父親に連れられて『男はつらいよ』を渋々観た程度で、むしろTVで放送された映画ですね。特に金曜ロードショーの存在が大きくて、毎週のようにハリウッドのアクション大作映画が放送されていました。『エイリアン』(79)や『ターミネーター』(84)もそれで知りましたし、スピルバーグ監督作も大好きになりました。思い返すと漫画もゲームも黄金期で、さらに映画館に行かなくてもタダで超大作が続々と観られたから、面白いものに恵まれて育った世代かもしれません。
――ほとんどアニメが放送されてなかったそうですが、アニメの原体験は何になるのでしょうか?
夏目
毎朝放送されていた『はじめ人間ギャートルズ』(74)は、子どものころ古い作品とは知らず新作と勘違いして観てました(笑)。エンディングの歌がすごく印象的で、哀愁漂うメロディーとメッセージ性の強い歌詞をよく覚えています。
――あっ、あれはなんか『スペース☆ダンディ』っぽいですね。
夏目
そうかもしれません(笑)。あとは母親が犬好きでして、『銀牙 -流れ星銀-』(86)をいっしょに観ていた記憶もあります。でも子どものころのアニメはそれぐらいで、時代に乗ったキラキラしたアニメには、まったく触れられませんでした。。
――映像を職業として意識するようになったのは、いつぐらいですか?
夏目
はっきりとしたきっかけは覚えていないです。もちろん金曜ロードショーでドラマや映像への興味は抱きましたし、「いつか自分でもつくってみたい」という漠然とした想いが、気づいたらあった感じですね。「漫画家になりたい」と思ってた時期もあったはずですが、当時は情報が少なくて挫折しました。新人賞を募集していることは何となく知っていても、原稿用紙のサイズとか描き方など具体的な手段がまるで分からない(笑)。同じ趣味を持つ友だちもいなかったので、「つくり手になりたい」という想いだけが心の中で膨らむばかりで、高校ぐらいまでモヤモヤした日々を過ごしていました。
『エヴァンゲリオン』を転機に上京して映像の専門学校へ
――そんな環境から映像業界へは、どういうルートで進まれたのでしょうか。
夏目
高校を卒業した後に上京して、映像系の専門学校に入学しました。高校在学中の97年、98年あたりでインターネットが流行し始めて、「アニメーターとは?」とか「この人がつくっていたのか」というクリエイターに関する知識も次第についてきて。
――その時期だと『新世紀エヴァンゲリオン』(95)が大ブレイクしたころです。
夏目
たしかにすごいブームでしたね。『エヴァ』にもすごく影響を受けているので、実際に行動に移すきっかけは『エヴァ』だったかもしれません。
――青森では放送されていましたか?
夏目
だいぶ遅れてでしたが、高1か高2ぐらいの夏休み、毎朝6時に放送していました。うっかり寝過ごして見逃すこともあったので歯抜け状態でしたが、最後まで続けて観て「なんだかよく分からないけど、これはスゴい!」と。当時は「庵野秀明」の「庵」という漢字が読めないくらい無知でしたが(笑)、クリエイターの名前を意識した最初の作品でした。
――『エヴァ』では、どのあたりが面白いと思われましたか?
夏目
まず、あの世界観が良かったんです。綾波レイやアスカなどキャラクターも魅力的でしたしデザインワークスも凝っていて、とにかく何もかもが目をひく。それとアクションシーンが好きだったので、印象に残っている話数は弐号機が空母を飛び回って活躍する回(第八話「アスカ、来日」)とか、磯光雄さんによる初号機の暴走する原画が素晴らしかった回(第拾九話「男の戰い」)になります。僕は『ターミネーター』や『エイリアン』だと『1』より『2』が好きな方で、とにかくド派手なアクションや銃器の細かい操作、メカのギミックに惹かれるんです。『エヴァ』でも兵装ビルを使った仕掛けのあるアクションに、近い魅力を感じていました。
――エヴァ体験で、一気にアニメに気持ちが傾いた感じでしょうか?
夏目
そうですね。「映像をいかに見せるか」という演出に対する興味のベースも、思い返すとあそこにあったかと。
――上京後の専門学校時代だと、どんなアニメに注目されていたのでしょうか?
夏目
20歳ぐらいのときに『フリクリ』(00)に出逢い、「また新しい風が吹いてきたな」という衝撃を受けました。僕が大好きなメカはまったく登場しないのに、独特の映像センスや情緒的な雰囲気がものすごく気に入って、「こういう面白さもあるのか」と興味深く観ていました。その時代に注目していたクリエイターは、鶴巻(和哉)監督ですね。
――ちょうどデジタル制作への大きな転換期で、新しい映像センスのつくり手が次々と台頭していく時期です。
夏目
ええ。若手の尖ったクリエイターも次々に表に出てきて、「世代が変わりつつあるな」と実感しました。「アニメ」である以前に「映像派」みたいなクリエイターが多かった気もしますし、3DCGの技術も徐々に上がってきていきました。
――専門学校では、どのような分野を学ばれたのでしょうか?
夏目
「CG映像科」に所属して、実写を撮ってそれを3Dに合成したりしてました。
――最先端ですね。でも、なぜ3DCG分野に進もうと?
夏目
もちろん2Dアニメーターのコースも考えてみたんですが、若かったので「いい大人が美少女ばかり描いてていいのか?」なんて抵抗があり。後に自分も描くことになるわけですが(笑)。もともとパソコンに興味があったのと、「CG映像」という言葉がカッコいいなと。実習で使ったアプリケーションはAfter Effects、3DソフトではSoftimageやMayaなどですね。
――90年代中盤までは高機能のワークステーションやMacでしか扱えなかった映像ソフトが、廉価なパソコンでも動くようになっていきました。
夏目
ええ。確かに以前よりも使いやすくなってはいましたが、まだかなり初期のバージョンだったので、マニュアルも英語のしかなくて、なかなか大変でした。それで3DCGだと短い尺をつくるのに何週間もかかったりするので、むしろ実写映像を撮って合成したりするのが楽しくなって、そっちばっかりやってました。趣味を語り合える仲間たちとも初めて出会えたので、専門学生時代はとても充実していましたね。
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