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UPDATE:2015.10.26

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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ゲーム会社でアニメ原画に触れてアニメーターに転身を決意
――専門学校卒業後はどのような進路を?
夏目
特に就職活動はせず、先生の紹介でオーバーワークスというセガの開発子会社に、まずアルバイトとして入り、ゲーム関係の仕事につきました。『サクラ大戦』シリーズを手がけていたころです。
――仕事はムービーの制作ですか?
夏目
いえ、デザインアシスタントから始めました。素材をスキャンして色を塗ったり、サーバ上のデータ管理、あるいはデバッグ作業で延々とゲームをテストプレイしたり。もう何でもやりました。当時始まったばかりのネットワークゲームの立ち上げに関わる機会もあって。
――初期にいろんなことをやる経験は、全体が見えるから良かったかもしれませんね。そこからアニメ業界に向かうきっかけは?
夏目
サクラ大戦』シリーズのオープニングムービーで、アニメーターの松原(秀典)さんによる生原画を観る機会があったんです。そのあまりのうまさに「アニメってここまでのものが描けるんだ」と感動してしまい、自分も本格的にアニメーションに関わってみたいと思うようになったんです。それで一念発起して、スタッフを募集している制作会社をネットで探し始めました。庵野さん、鶴巻さんのファンだったのでガイナックスに入ることも考えたし、スタジオジブリも候補に考えましたが、どちらもすごく倍率が高いので、自信がなかったんですね。それで応募したら採用されたのがJ.C.STAFFです。たくさん作品をつくっていて若手も多かったし、自分のレベルにはちょうどいい感じで。
――入社されたのは何年ぐらいでしょう?
夏目
たぶん2002~2003年ぐらいですね。舛成(孝二)監督と石浜(真史)さんが『R.O.D -THE TV-』を作られていたころで、すばらしい方々の原画をいっぱい見て動画をさせてもらえたのもタイミングが良かったです。梅津泰臣さん、竹内哲也さん、森久司さんなど、うまい原画やレイアウトに触れる機会がたくさんあり、ものすごく勉強になりました。
――それは非常にラッキーでしたね。
夏目
しかも突貫で時間がないはずなのに、みなさんけっこうヤンチャな作画をされてくるんです(笑)。当時のJ.C.STAFFは次々と作品をつくっていたし、いろんな絵があちこちに置いてあって、アニメーターが好きに描いたという感じの絵をたくさん見て、「ものすごく楽しそうだな」と感じましたね。みなさん絵がうまいし、しかも尋常じゃないぐらいの枚数を描いている。全原(中割り参考を入れ、動画の動きもすべて原画マンが指定する手法)をやっている方もいて。
――動画の海外発注も急増していた時期ですから、その影響もあったでしょうね。その時期、刺激を受けたクリエイターは?
夏目
石浜(真史)さんの絵が、ものすごく魅力的でした。独特なセンスを持っていて、唯一無二な絵を描かれるなと。それと人柄です。相談に行くと、当時若手の動画マンだった僕の話をちゃんと聞いてくれるんです。うまい原画のコピーを参考に持ってきてくれたり、とても親切にしてくださって嬉しかったです。当時の石浜さんは、今の僕と同じ年齢ぐらいのはずですが、自分が同じことをできるかと言うと難しいと思ってしまうほどで……。動画から原画に上がり始めたタイミングでJ.C.STAFFからGONZOに移りますが、それも石浜さんに誘われたのがきっかけでした。
――ちなみに初原画はいつ頃だったんですか?
夏目
動画と二原(第二原画)を半年以上経験してから、『まぶらほ』(03)で初めて原画をやりました。動画時代も「自分で動きをつけたい」という想いが強くて、中割りで勝手にリアクションを足したりタイミングを変えたりして、「勝手に変えるな!」と怒られたりしました。良くなかったと反省していますが、それくらい動かすのが好きで。
――実際に動きをつくる原画を担当されて、いかがでしたか?
夏目
自由に動かせることが、まず楽しかったです。当時は今ほどチェックが厳しくなく、自分が描いた絵がほとんどそのまま映像に残るから、モチベーションも高まりました。むしろ動画時代はキツくて、手が遅くてなかなか枚数が上がらなかったですね。普通、1カ月で400~500枚描かなければならないのに、200枚いかなかったと思います。
――えっ? それだと生活できなかったのでは?
夏目
ええ、全然食えなくて。変なプライドが邪魔してたのか、ていねいに描こうとするんでなかなか数が描けない。周りでは、すっすっと流すように描いてる人も多かったです。原画は清書が必要なくて、サクサクと動きを描けるようになって良かったですね。
――ようやくご自身のイメージのまま、絵づくりができるようになったわけですね。
夏目
J.C.STAFF時代を振りかえると、本当に人に恵まれていたなと思います。自由に描かせてもらえたし、レイアウトに問題があったとしても紙を乗せて修正されるのではなく、「こうしたら良くなるよ」とアドバイスをもとに自分で描き直す機会も与えてられました。石浜さんも「好きにやれよ」と放置気味で、のびのびと描くことができました。
多種多様、自由なスタッフたちから刺激を受けたGONZO時代
――GONZOに移ってからはいかがでしたか?
夏目
GONZOにも奥野浩行さんや森久司さんのような尖った絵を描かれる方がいて、面白くて刺激的な現場でした。ただ「これでいいんだ!」みたいな影響も受けてしまい、作画的には間違った方向に行ってしまった部分もあったかも。あの作風は森さんだからこそできることで、タイミングや形だけ真似しても絶対にうまくいかないんです。他には『NARUTO-ナルト-』(02)で脚光をあびた松本憲生さんの仕事を見る機会もあり、すごく達者な絵がよく動くので衝撃を受けました。『NARUTO-ナルト-』では特にオープニングが印象的で、僕の作画スタイルの方向転換のきっかけになったと思います。
――全方位的に、刺激を受けて成長された感じですね。
夏目
雑誌「アニメスタイル」の影響も大きかったと思います。うつのみや理さんや湯浅政明さんなど、独特なセンスを持ったアニメーターがよく紹介されていて、若かったからそれを真に受けちゃうわけです(笑)。『ぼくらの』(07)の作監(作画監督)をしたときは、湯浅さんみたいなブルブルした線で統一しようと試みて、森田(宏幸)監督に「ちゃんときれいな線で描いて!」と怒られてしまい……。2000代前半はヤンチャ系の若手アニメーターが多く、作画的にもいろんな手法が試されていた時期で、楽しかったです。
――アニメーター時代で思い入れの深い作品は?
夏目
『ドラえもん のび太の恐竜2006』(06)です。監督は渡辺歩さんで、作画監督は小西賢一さん。大好きで今でも定期的に観返しますが、キャラクター描写がとてもうまいんです。渡辺さんは人の心を動かす映像をつくる演出家という認識で、レイアウトの取り方やシチュエーションごとの舞台設定も秀逸です。コンテも、とても勉強になりました。それと小西さんの仕事ぶりですね。キャラクターの演技、動き、すべてが別次元でした。原画がすでに動画っぽい感じで、キメになる絵がひとつもない。なのに、ものすごくよく動いて見える。紙の束の厚みで見せるスタイルでした。
――小西さんはスタジオジブリ出身ですから、王道でもありますよね。
夏目
ものすごく勉強になる一方、「これがジブリで宮崎(駿)さんや高畑(勲)さんのもとで鍛え上げられた人の絵か」という印象もありました。まざまざと実力の違いを見せつけられ、これはかなわないないなと……。やっぱり小西さんと一緒に仕事をしていると、大塚(伸司)さんや田辺修さんのようなジブリ系のすごいアニメーターの存在を意識せざるをえなくなるんです。小西さんの『ホーホケキョ となりの山田くん』(99)でも、橋本晋治さんが担当されたお父さんがバナナを食べるシーンがすごくて、ただ食べてるだけなのに、キャラクターの心情がヒシヒシと伝わってくる。アニメーションの根源みたいなものを考えさせられて、すごく奥が深いなと実感しました。
――その領域になると、もう半分演出含みでしょうね。
夏目
そうなんです。アニメーターは演者であり、演出家でもあると。そうした意識は、今でも大切にしています。
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