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UPDATE:2016.11.11

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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戦時中の「記号」を疑って確かな実感を探る
――なるほど。本作で話題になっている調査と考証ですが、映像だと情報量も増えますし、もっと調べなければいけないと。
片渕
他にも「戦時中」というイメージを形づくるものの正しい姿を、ひととおり調べていきました。民間人は胸に身許表という、血液型や住所氏名の書いてある布を張りつけていますが、それがどの時点からか、服装のバリエーションを設定として作っていく。特に原作では、ずっと同じ服を着ていないんです。と言っても無限にいろんな服が出てくるわけでもない。特定の何着かを着替えながら生活している。ある服は途中でこうなった、ある服は食べ物と交換で出してしまったと、何年何月の服装の変遷を、ずっと追いかけています。そうすると同じ服でも胸に身許表をつけるのはいつからか、明確にしなければいけない。内務省が各都道府県庁に通達を出して国民に呼びかけたのが昭和19年の春ぐらいで、国民が反応したのは19年の夏ぐらいだと分かってくる。そんな風にひとつずつ「いつ何がどこからどう変わったのか」と確かめていきました。それでいちばん分らなかったのが「建物の窓ガラスにバツ印ないし米印のような紙を貼る」という処理です。
――爆風でガラスが飛び散ると危険だから止めておくというアレですよね。
片渕
ええ。監督補の浦谷(千恵)さんと設定制作の白飯(しらい)(ひとみ)さんと自分の3人で調べてみたんですが、結局分からないままなんです。なぜなら、そんなことをしている家の写真がほとんど見つからない。そういう通達も出てこないんです。となれば、分からない理由はひとつしかない。
――それは映画的なものだったということですか?
片渕
まさにそうなんです。戦時中のドラマや戦争映画では、たいていあれが貼りますが、実際は違うんです。内務省が国民向けに出した「時局防空必携」というマニュアルがあって、映画の中でも隣保班(りんぽはん)で講師の人が持っていますが、「窓に紙を貼るのもひとつの手立てではあるが」ぐらいにしか書かれていない。要するに「あまり意味がない」となっている。敵がもし爆弾を降らすなら、ガラスの飛散を止める紙にも意味がありますが、「敵は市街地に対しては焼夷弾で攻撃してくるから、爆風破壊ではなく、燃やされることを前提に対処しなければいけないのが大筋である」みたいなことが書かれているんです。ただ民間でも工場や軍の施設は、爆弾を投下される可能性があるから紙を貼っていました。その軍事施設の写真はたくさんあります。でも、バツ印や米印ではなく井桁(井の字型)で、まるで形が違う。そして民間の住宅の写真でごく一部貼ってある写真も、井桁でした。そうすると、いったいあれは何だったのかと(笑)。
――映画で誰かが始めて伝わって、記号になってた(笑)。
片渕
ええ、まさに記号です。いつの間にかありもしないものを見せられて、「これが戦時中だ」と思わされていた。そういう事実にどんどん気づかされていくわけです。調査にしても「現地の方からどれだけお話を聞かれましたか?」とよく聞かれますが、そもそもオーラルヒストリー(聞き取り調査による歴史研究)の取り扱いは、ものすごく難しいんですね。戦時中に生きてその風景を見た人も、戦後にいろんな映画やドラマを見て記憶を上書きされている可能性がありますから。
――その難しさをどうやって解決されたのでしょうか。
片渕
一次資料、特に公文書を見つけるのがひとつ確実な手段です。それから当時の新聞、日記、実物をとらえた写真。疑いようのない根拠でまず自分たちの基盤を作り、その上で本当に分からないところを当時の人から聞く。そうすると意外なことが明らかになったりします。たとえば調査中の建物で「窓際に手すりがあった。もたれかかった背中にその手すりの感触が残ってる」みたいな記憶。あるいは「うちのお店と隣のお店のショーウィンドウの高さがこれだけ違ってた」みたいな記憶。こういう上書きされようがない感覚的な記憶のほうが大事なんです。そういう聞き取りは盛んにやりました。
――その方も、おそらくかなりのご高齢だと思います。
片渕
そうなんです。もうひとつは、当時のことを記憶されてる方も、ほとんどが子どもだった方に限られてしまうことですね。冒頭に出てくる広島の中島本町は爆心から数百メートルで町自体が消滅してしまい、現在は平和記念公園になっていますが、小学校高学年で学童疎開していた子どもたちは無事でした。この方たちにお話を聞くことができたものの、話はいつも「こうやって遊んだ」というところに行き着いてしまう。自分たちのご両親が亡くなったことは語りにくいものがあるので、むしろ自分たちの住んでいたころの町の姿を思い浮かべてきたのでしょう。「子どもたちが遊んでいる町」という記憶は大事です。しかし、互いに記憶の齟齬があるなど、人から聞ける戦時中のことは、かなり少なくなっていると実感しました。それでもいろんな根拠を集め、戦時中をもう1回実感あるものとして組み立て直さないといけない。それが今回の大きなテーマになりました。
笑顔を絶やさないすずさんの実在感を求めて
――そうした実在感に支えられているがゆえに、原作に描かれているすずさんという人が本当にいるような気がしてきます。
片渕
あんなにボーッとしておっちょこちょいな人って、むしろ逆に戦時中でも当然いるわけです。絶対に実在するよね、ということなんですよ(笑)。
――いまで言う天然系みたいなところもあって……。
片渕
そうですね。天然の人なんですけれど、そんなすずさんの魅力、すずさんが確かに存在している感覚がこの映画のすべてだと言っていい気がします。その実在感を裏づけるものとして、背景に確かな世界があり、それが時期とともに変化していく。そのリアリティは我々が実感として受け止めるところでもあり、それが最終的にはすずさんという人に対して「こういう人がいてほしいな」という願望になっていく。ここが自分にとって一番の根本です。そこを中心に物事を考え、調べ、映画づくりをしていこうと。特に毎日ご飯を作ったり日常を過ごすことに対しては、ものすごく魅力を感じていましたね。彼女はその担い手なんです。もうひとつはすずさんがね、「代用食をこれでなんとか作らなきゃいけない」みたいなことがあったとき、いつもニコニコしてるんですよ。
――そうですね。ずっと独特の笑顔が描かれ続けています。
片渕
「いいひとだな」っていう気持ちがすごくあるでしょ?(笑)。これが自分としてはもっとも大事なんです。原作を最後までひととおり読み終えたとき、ちょっとこみ上げてきたものがありました。2回目以降は、冒頭から普通にニコニコしながら生活を営むすずさんを見るたびに、「こういう人の頭上に爆弾が降ってくるんだ」といういたたまれなさに泣けてくる。自分だけが心を痛めるのではなく、この気持ちをどうにかして他の人にも理解できるように伝えたいなと。「すずさんという人がいると、こんなにほっこりするでしょう」という気持ちと、「その上に爆弾が降ってくると、こんなにいたたまれないでしょう」という気持ち。それを同時に表現したいなと。でも、いたたまれなさの方は、たぶん難しいだろうという気もしました。そもそも想像がつくのかなと。だから、生活を描くのと爆弾が落ちてくるのとを、同じ尺度でやらないといけないと考えたんです。ご飯を作るときには包丁をこんなふうに持ちます、火加減をこんなふうに調節します、お箸をこんなふうに持ちます……。そう描くのと同じように、B-29の爆弾倉はここに何発、ここに何発、どれぐらいの炸薬量の爆弾が入ってて、それが何秒かけて投下され、弾着したときにどういうことになるのか、何発に1発かは時限爆弾が混ぜてありますよ、というリアリティを描こうと決めたんです。「『この世界の片隅に』は実写だってできるじゃないか」って時々言われますが、飛んでいるB-29とか、すずさんの家の裏の畑から見える呉軍港とか、CGで本当に生活者のドラマと同じように描けるのかな、という疑問があるんです。でも、自分たちの仕事ならできると。
――それはアニメーションだから?
片渕
そう、まさにアニメーションだから。だって自分たちが全部手で描けばいい。CGは今回1カットも使ってないし。手で描くなら、すずさんを描くのも、すずさんの住んでる家を描くのも、空を飛んでるB-29を描くのも、それが落とす爆弾を描くのも、全部同じにできる。そういう姿勢を通そうとしました。そうすることで、すずさんの実在に肉薄していきたかったんです。フィクションというよりは半実在みたいな境地に。そういう目的には、ドキュメンタリーのような手法がいいと思いました。『マイマイ新子』にはカメラを手持ちで構えて振っている感じがありますが、こっちはカメラはFIX(固定)で据え、すずさんが風景を眺めてるのをじっと撮っている画面が多い。PAN(カメラの振り移動)は控えめにしました。要するに世界がそこにあり、ポンと据えたカメラで撮ることで、ドキュメンタリーっぽい感じを出そうと。
――そうしたリアリズムは伝わっていると思います。
片渕
そうなると「劇伴(劇中の音楽)の音楽が入らないな」と思ったんです。作りもの、作為の音楽は要らないのではと。その前提で絵コンテを進めていて、音楽が必要な場合は街中のスピーカーから流れてくる、あるいは登場人物が歌うという前提の現実音にしようとしました。もうひとつ自分の考え方としては、『マイマイ新子』は明らかにそうしてますが、登場人物の心理そのもの、心の中からわき出てくる音楽があると。それで最終的に30数曲の劇伴をつけましたが、最初は音のリアリティもそんな風に考えていました。
――戦争を連想させる銃撃、砲撃音のリアリティもすごかったですね。特に爆弾の破片の音が怖いです。
片渕
そういう話を効果音の柴崎(憲治)さんとしていたら、「分かった、まかせておけ」と言われて、「自衛隊で曳火榴弾の爆発音を録ってきたよ」なんて、戦争の生音に近いものを録ってくるんです。映画でよく使う「ドカーン!」と銅鑼を鳴らすような爆発音は、まったく使っていないんですね。B-29や戦闘機の飛行音も実音をはめ込む形にしていますし、その艦載機空襲自体も、何月何日の何時何分、空母どれどれの第何飛行隊の何機がこの方角からこの方向に侵攻し、呉港にいる空母龍鳳にロケット弾を発射する……みたいなタイムテーブルまで調べて描いてます。それをすずさんからの見た目からだとこの方向に見えて……という具合に割り出して映像にしているんです。
――実物に基づく感覚が、あらゆることに徹底していますね。
片渕
つまり演出的に6機必要だから描くのではなく、「ここでは実際に6機飛んでくるでしょう」と描くやり方を徹底しました。一般に「アニメーションは作りものだから偶然の入り込む余地は完全にない」と言われますが、そういう方法をとると、自分たちの作為しないものがいっぱい入り込むんです。「なんで4機ではなくて6機?」「だって、本当にそうだったから」みたいな感覚でリアリティが上がってくる。そんな映像に生音に近いものがついたとき、予想以上に生々しい戦争が画面の中に展開されてしまって、驚きました。ダビング初日、効果音もセリフも音楽も音量調整なしでバランスとらずに出してみるプリミックス作業で戦争のところに来たとき、ひどく痛めつけるような対空砲火の音が聞こえてきて、おののいてしまったんです。同時に「あんな場にさらされたすずさんは、どれぐらいが心が傷ついたのだろう」と、ものすごく心配になってしまい……。
――たしかに、すさまじい臨場感でした。
片渕
それであわててエンディングで「もうちょっと違うすずさんを描かなければ」という決意をするに至りました。昭和21年1月までがメインストーリーなんですが、まだまだ戦争を背負い続けてる感じがすごいしたからです。そこから脱却せず、次のステージに彼女がたどり着けないまま映画が終わってしまったら、そもそも『この世界の片隅に』って今でも生きている年齢の人の何十年か前の姿を描いてるというつもりだったのに、今につながってこない気がしたんです。それでプリミックスの翌日、朝早くから絵コンテも何も描かず、口伝えでエンディングを作画していく作業をやりました。それぐらい戦争中の描写は自分でも予想以上に怖かったということなんですね。すずさんという普通の人の上に、どんな恐ろしいものが降ってくるのか、みんながその実感へたどり着いてくれるといいなと思っています。自分たちはこれまで「親の世代がやっていた戦争」「テレビが言ってた戦争」みたいな感じで、「なるほどね」「もう分かりましたよ」みたいに、どうしても反抗期の中学生みたいな気持ちで戦争を扱ってた気がします。ようやく大人になれたみたいな、そんな気さえしていますね。
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