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福井晴敏のオレに聞くなよ!

UPDATE:2014.4.11

福井晴敏のオレに聞くなよ!

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小説家。 1968年、東京都墨田区生まれ。 『1998年「Twelve Y. O. 』で第44回江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。 その後1999年 「亡国のイージス』、2003年「終戦のローレライ』などのヒット作を次々と生み出し、様々な賞を獲得するだけでなく、映画化にまで至る。 2006年~2009年にかけて月刊ガンダムエース誌上で『機動戦士ガンダムUC』を執筆。
アニメ版でもストーリーを手掛ける。 昨年映画化された『人類資金』の原作小説となる『人類資金Ⅵ』が2月13日に発売。
また、『機動戦士ガンダムUC episode 7』が5月17日より、イベント上映・ネット配信・Blue-ray劇場先行販売がスタート。

―「特撮が怖い?」ってどういうことですか?

福井:うん。 初期の『仮面ライダー』なんか顕著だと思うんだけど、この頃の特撮って全般的に怖いじゃない?主人公の置かれた境遇もものすごくシリアスで、救いがなくてさ。 『レインボーマン』なんか辛くて見れなかったもん。 子供心に。

――なんかわかる気はします。

福井:世相的にも高度成長が終わって、石油ショックがあって、公害問題がクローズアップされるようになってさ。 それまで信じられていた「未来」の形が見えなくなって、現在まで続く迷走が始まったのが70年代なわけなんだけども。 そういうのって、やっぱり作るものに現れるよね。 「この狂っちまった世の中で、どう正義を貫くか」っていうか、「そもそも正義ってなんだったっけ?」みたいな。 そういうテーゼがこの時期のヒーローにはみんな背負わされてる気がする。 ほら、オレたまたま見ててすごく強烈に憶えてるんだけど、ヒーローが変身途中に過って子供を轢いちゃったりとか。

――『鉄人タイガーセブン』ですね。 あれは強烈でした。

福井:あんなん、もう事故じゃん! もうその回を見ちゃったってこと自体がすでに事故だよっていうか。 小学校も高学年になればそういうのもおいしくいただけるんだろうけど、当時のメイン視聴層たる五、六歳の身から言わせてもらえれば、それって楽しくないし、怖いですよって。 まぁ当時のアニメにも問題意識を喚起するような番組はあったと思うけど、実写よりはマイルドだし、文字通りの絵空事で安心して見てられるってのが……。

――なるほど。 それが特撮からアニメに乗り換えた原因ですか。

福井:そこまで明文化してはいなかっただろうけどね。 大人社会の怖さっていうか、乱暴さみたいなのがダイレクトに伝わってくる瞬間が、当時の特撮にはあったと思う。 これは内容に限らず、作りの問題でもあってね。 たとえば『がんばれ!!ロボコン』に出てくるロボで、片腕が注射器になってるやついたじゃない?

――ロボペチャですね。 ロボコンにお熱の看護婦ロボットで、壮絶な造形でした。

福井:そう、怖いの。 もう出てきたらチャンネル替えるってぐらい怖かった。 でもあれって、他のロボに関してもそうだけど、石森先生が描いたデザイン画はきっともっと可愛かったと思うんだよね。 絵だと表情も自由にデフォルメできるし。 でもその二次元の線を拾って、耐久性のある素材を使って立体化して……となると、なんとも言えない不気味な存在感が期せずして生み出されてしまう。

――今だったら、デザインする方も造形する方もいろいろコツがわかってるから、二次元のイメージを損なわない立体化ができるんでしょうけどね。

福井:当時はそれがなかった……って言うより、する必要がなかった。 これでいいだろ、こういうことだろっていう、当時の大人たちの声がね、なんか聞こえてくる気がするわけよ。 これが初期のウルトラマンとかだと、オレたちは時代の最先端だぜ、局の看板背負ってるぜっていう気概がフィルムからも感じ取れて、ゴージャスっていうか、安心できる感じがするんだけれども。 なんかこの頃の石油ショック不景気の最中に作られたもの見ると、作り手の怨念みたいなものが貧しい製作環境と化学反応を起こして、乱暴かつインモラルすれすれな空気を醸し出してるような……。 なんだろう、強いて言うなら、「酒に酔った父ちゃんが父ちゃんでなくなって、世の中に対する呪詛を吐き始めたさまを見つめるしかない子供の不安」って感じ?

――ははぁ。 その点、アニメは……。

福井:まぁ表現とか稚拙だったかもしれないけど、そんなの子供にはわからないし、「生身」じゃないから最初から現実との距離感が担保されてるっていうか。 少なくとも、ロボコンの着ぐるみが次第に傷んでゆくさまを通して、現実の大人社会の事情を潜在的に感じ取るってことはなかったと思う。

――うーん。 福井さんの世代は、みんなそんなふうに感じてアニメに移ったのかなぁ。

福井:みんながみんなじゃないだろうけどね。 でもほら、『ウルトラマンレオ』と『仮面ライダーストロンガー』を最後にして、奇しくも同年にウルトラとライダーのシリーズが休眠期間に入ったのって象徴的だと思うなぁ。 どっちもシリーズ屈指の厳しい話だったでしょ。 ストロンガーは相棒の女の子が死んじゃうし、レオなんか前年の『ウルトラマンタロウ』の楽しさの反動のように、ひたすらハードでシリアスで過酷で……。

――確かに。 言葉は悪いかもしれないけど、「最後だからやっちまえ」的な勢いがありましたよね。

福井:で、ね。 このリスト見てわかったんだけど、それとバトンタッチする感じで『秘密戦隊ゴレンジャー』が始まってるの。

――ですね。 現在まで続くスーパー戦隊シリーズの始祖。 ストロンガーと同日にスタートして、ストロンガー終了後も一年以上走ってる。 まさにバトンタッチだ。

福井:あれって楽しかったじゃない? オレ、あれは追っかけて見てた気がする。 バリブルーンとかの超合金も欲しかったし。

――楽しかったですねぇ。 敵の怪人もコントの乗りでした。

福井:それって、作り手はきっと相当意識してやってたんじゃないかと思うのよ。 特撮がハードに、言葉選ばずに言っちゃうとどんどん陰気になっていって、子供の心と乖離してきたなって感じた人たちが、もう楽しませることだけに特化しようって一大転換を仕掛けたんじゃないかって。

――なるほど。

福井:このリスト見ると、そのゴレンジャーを境に微妙に流れが変わってるのがわかる。 同時期の放送は『アクマイザー3』『宇宙鉄人キョーダイン』『忍者キャプター』等々。 ね? 74年までの番組と明らかに気分が違う。 それほど明瞭に憶えてるわけじゃないけど、これらの番組は怖かったって印象はない。 なんかバラエティ的な楽しさがあった気がする。

――ああそれ、バラエティ。 わかる気がします。 ゴレンジャーを境に集団ヒーローが流行って、従来の「孤独なヒーロー像」は激減しましたよね。

福井:ピン芸人の漫談から、ひな壇芸人の集団トークへ……って言っちゃうと身も蓋もないけど、きっとそういうことだよね。 ウルトラやライダーでも「先輩と兄弟が全員集合!」みたいなイベント回があったけど、「チームでいるのが常態」っていうゴレンジャーがヒーロー像の在り方まで変えたんだ。

――それが「特撮=怖い」というイメージも払拭した、と。

福井:そうだね。 以後、ピンで目ぼしいヒーローって言うと、70年代は『快傑ズバット』と東映版『スパイダーマン』くらいしかいない。 ズバットの方はあんまり記憶ないけど、たまに見た回はなんか楽しかった印象があるし、スパイダーマンも巨大ロボって切り札を持ってる安心感があった。

――ズバットは往年の日活アクション映画を彷彿とさせる作りで、日活アクションと言えば無国籍な雰囲気が売りですから、日本社会の断面みたいな生っぽさは確かになかったでしょうね。 スパイダーマンが操るレオパルドンは、「ヒーロー+巨大ロボ」という、後のスーパー戦隊シリーズに受け継がれるフォーマットを確立したロボでした。

福井:ロボね……うん、ロボ。 この70年代特撮の流れって、そのまま80年代のロボットアニメブームにも置き換えられるかもしれないな。

――と言うと?

福井:何事にも勃興期と成長期、成熟期ってのがあってさ。 多分、70年代のテレビ特撮は成長期から成熟期まで一気に駆け抜けちゃったんだと思う。
この成長ってのはクセモノでね。 いったん始まっちゃうと、ある世代とぴったり同期して一緒に歳をとっていっちゃう。 適度なところでリセットをかけないと、新規参入がなくなって痩せ細る結果になる。
日本のテレビ特撮は、最初のウルトラマンの放送時に小学生になったかならなかったかの世代、オレより五つ六つ上の世代と一緒に成長していったんじゃないかな。 途中で何度かリセットがかけられたけど、大きな流れにはならなくて、少なくとも70年代前半までは新規参入するべき層、つまりオレらの世代をごっそりアニメに持っていかれちゃった。 作り手としては無理からぬところだよね。 心ある作り手なら、同じことをまたやるのは嫌だし、ひっそり込めたメッセージがきちんと伝わっていると知ったら、じゃあ次はもっとってなるのが当然だもん。 しかもそこに70年代の暗い世相が共鳴して、ある種のスタイルができあがってゆく。 この構造って、ファーストガンダム以降のロボットアニメと同じだなって。 どんどんリアルになって、ハードになって、一緒に成長できたオレたちは大満足だったけど、本来ロボットアニメを成立させるための視聴層、つまり玩具を買ってくれる児童層はおいてきぼりになって、それこそ90年代の頭に勇者シリーズがリセットをかけるまで、新規参入はぱったり途絶えたんだよね。 SDガンダムとか、ガンプラブームの余熱が細々と命脈を保ってきただけで。 たとえばうちの奥さんはオレより十歳くらい年下なんだけど、『Zガンダム』とか怖くて見られなかったって言うの。 なんか生々しすぎたって。
それって、70年代前半の特撮を怖いと感じたオレと同じ心性だったんじゃないかな。
で、このままじゃ先細りって時にウルトラとライダーが冬眠に入って、ゴレンジャーがリセットをかけた、と。 そう考えると、ガンダムも『Gガンダム』でリセットをかけたからこそ、現在まで生き長らえることができたのかもしれないよね。 ヒーロー=ガンダムの集団化って方法論も同じだし。 少なくともテレビでは、「前の作品を受けて」という作り方は禁物と結論してもいいんじゃないかな。 リセットせずにやっていいのは三年まで。 それ以上続けると、卒業生が増える一方で新入生は入ってこなくなっちゃう。 最近のライダーとか戦隊物とか、そのへん意識的だよね。 毎年リセットをかけて、視聴層を翌年まで引っ張ることはしない。 それはそれで、本当にプロの仕事だと思う。

――……。

福井:なに、なんか言いなさいよ

――いや、感動してるんです。 初めて意味のある話が……あ、いや、さすが作家だなって。 でも、「その先」に進もうとした作品があるからこそ、特撮やアニメが今も我々の心をつかんでるってことはありますよね。

福井:そりゃあそうよ。 成長が無意味なことだとは断じて思わないし、アニメや特撮には普通の実写作品にはできない現実風刺、現実批評の機能があるって信じてる。 そっち方面でがんばってる人たちも大勢いるし、でなきゃオレだって『ガンダムUC』作ってませんよ。

――大変貴重なお話、ありがとうございました。 では、それを踏まえて、次回は80年代の特撮作品について語っていただこうと思います。 80年代になると、世相もまたがらりと違ってきますからね。 ロボットアニメブームの合流とかもありますし、この連載のコンセプトである「今の若い子たちに昭和特撮の魅力をいかに伝えるか?」について、有意義なまとめをしていただけるのではないかと……。

福井:え?

――「え?」

福井:いや、あの、それは無理です。 このリスト見ると、オレ、78年には完全に特撮を卒業しちゃってるんで。

――!?

福井:前回も言ったじゃない。

――いや、言ったかもしれないけど、「特撮にウスイ」って言っても今日これだけの話はできたじゃないですか!意外と見てたなぁって自分でも思ったでしょ!?

福井:うん、いや、でもこれくらいが普通じゃないの?

――うわー、せっかくいい線でまとまりそうだったのに、最後の最後でまた普通の人に戻っちゃったよ。 どうすんだ、この連載。 次はなにを話せばいいんだ!?

福井:うーん、いくらなんでも見てないものについては話せないしなぁ。 そうだ、今回はテレビだったから、次は70年代の特撮映画について語るとか?

――アンタがいちばん成長してないよ!

【つづく】

(註:このインタビューは半分フィクションです)