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UPDATE:2016.11.11

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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前作『マイマイ新子と千年の魔法』から続いている観客の期待
――いよいよ『この世界の片隅に』が公開されます(11月12日公開)。マスコミ試写もすごく盛況だったと聞いていますが、今はどんな心境ですか?
片渕
満員で入れない方がたくさんいらっしゃったり上映後に拍手が起こったりと、ものすごくありがたい想いをしています。メジャーな新聞、放送局、映画雑誌、アニメ雑誌まで取材や出演依頼がたくさん来ていて、自分史上最大の前評判です(笑)。今のところ手応えがありそうな感じです。
――その前評判は結局、『マイマイ新子』のアフターから始まったことですよね。
片渕
そうなんです。『マイマイ新子』は口コミで結果的にロングランとなりました。そのままくすぶり続けたお客さんの欲求や熱意が、「次の作品をやります」と言ったとたん吹き出てきたみたいなところがあり、それがクラウドファンディングの成功と結びつきました。ただその後、何がどううまくいってマスコミ試写の盛況に至ったのかまでは分かりません。主演ののんちゃん、コトリンゴさん、それぞれ興味があるいろんなファン層の方たちが試写を見て広めてくれて、それが結果的には作品自体を観ていただいた上での興味に変わっていった。もしそうだとすると、すごくうまくいってるなと思います。
――作品の準備はかなり前からになりますが、出発点はいつでしょうか。
片渕
6年3ヶ月前で、2010年の夏ぐらいにはもう心に決めていました。『マイマイ新子』の公開後は上映を軌道に乗せるため舞台挨拶を何度もやってて、防府にも数えきれないほど行きましたし、ラピュタ阿佐ヶ谷の舞台挨拶に何週間も出続けたりでした。それと並行してTVシリーズでは自分の語り足りなかったことを語り終えるためのOVA『BLACK LAGOON Roberta's Blood Trail』(10)も手がけていました。「次をどうするか」と考える中で『この世界の片隅に』に出逢ったんです。「WEBアニメスタイル」の連載に僕が企画プロデューサーの丸山正雄さんに申し出た日が記録されていますが、2010年の8月6日なんですよ。
――広島に原爆が投下された日ですね。
片渕
それは偶然でしたね。実はその時点では読み終えていないのに、すぐ「これは絶対に手がけたい」という気持ちになっていました。ただそこで丸山さんが「これはものすごく評価が高いから、出遅れてるかもしれないな」と言ったんです。それを聞いて逆に「絶対に自分で作りたい」と、いっそう火が点きました(笑)。スタッフから双葉社さんに連絡してもらったところ、実写ドラマが進行中だと分かり、最初は「映像化がそんなに続いてもね……」みたいな雰囲気でした。でも、電話に出られた双葉社の版権部のご担当が、たまたまラピュタ阿佐ヶ谷で『マイマイ新子』の上映をご覧になっていたんですね。
――それはすごいめぐりあわせですね。
片渕
「ひょっとして『マイマイ新子』のスタッフの方々ですか? だったら関係あるかもしれない。社内で話を詰めてきます」という感触になったんです。つまり双葉社サイドのこの方は、「『マイマイ新子』を作ったスタッフなら『この世界の片隅に』を手がける意味が生じてくる」と思ってくれた最初の人なんですよ(笑)。それで双葉社経由で原作者のこうの史代さんにお手紙と『マイマイ新子』のDVDをお送りしたら、しばらくして届いたお返事に「『名犬ラッシー』(96)の監督の方ですよね」とあったんですよね。
――さらにつながっていく感じです。
片渕
こうのさんは1995年ごろ、『街角花だより』という商業誌連載でプロ漫画家としての出発をされたんですが、当時僕らがやってたTVシリーズなんですね。「『名犬ラッシー』は毎回見てて好きだったし、多少影響を受けた面もあって、生活を正面に描くものをやりたいという意識をそこで強くしました。なので今回こういう話をいただいたのは運命だと思います」みたいな話が書いてあって、双葉社サイドも「こうの先生が運命と言ってるんだから、もうこれはGOですよ」と進んでいったんです。後で見せてもらった『かっぱのねね子』というこうのさんの漫画には「『名犬ラッシー』の大雨が降って町が洪水になった回がすごく面白くて、そういうのを描きました」というコマがあって、「あ、本当だ」と形跡が分かったりしました。めぐりあって本当によかったなという気がしましたね。こうのさんの方もこちらをすごく良く言ってくださるようになり、「原作があって映画化がある」という普通のアプローチではなく、そもそもお互い同じような土壌の作家性を持っていたからこそ、その中から映画も醸成されてくるみたいに特別な感じを自分たちは受けました。周りもそういう風に受け止めてもらえているなら、ものすごくいいかなと。
普通の生活を支える実在の根拠を求めて
――いま「生活」というキーワードが出ましたが、片渕監督が映像にしたいと感じられたのも、その「生活感」の部分でしょうか。
片渕
まず原作で「あれ?」と思ったのは、すずさんがモンペを作る場面でした。着物を崩し始めるところからの手順が、丸ごと描いてあるんです。野草を摘んできて代用食にするところも、調理の手順がいちいち全部描いてある。自分の『名犬ラッシー』の場合も、「シフォンケーキを作る」というと、卵を割るところから始めてるんですね(笑)。
――食べ物の描写は生活の基本ですよね。
片渕
前に宮﨑(駿)さんの『名探偵ホームズ』(84)に脚本で参加していたときには、「毎回違う乗り物を出そう」という隠れたコンセプトがありました。なので『名犬ラッシー』では「毎回何かの食べ物を起点に日常生活を発想しよう」と考えていました。なので、すずさんが戦時下の食料難で「ないからこそ食べ物をどう楽しく工夫するか」という場面を見たとき、これは自分にとって大きな意味をもっているなと思ったんです。モンペを作る話と野草を料理する話の間には、結婚した旦那さんと段々畑に並んで座って、戦艦大和がいつも見てる海に入港してくるところを眺める場面があります。その戦艦大和もきちんと描かれていて、昭和19年4月と明記してある。入港記録によれば19年4月に大和が呉に来るのは1回きりで、17日だと分かるんです。後にこうのさんに聞いたら「入港記録を見て描きました」と言われましたが、そういうレベルで調べて描いておられるようだというのが随所から伝わってくるんです。
――なるほど、実在の根拠みたいなところですね。
片渕
そうすると、単純に生活が描かれているということだけではない。戦時中であれば戦争が一種の影になることで、日常生活が少しでも輝くようなコントラストがつく。それはあるなと思う一方で、理念や空想の上での「戦時中」ではない気がしたんです。この年のこの月のこの日には何が起きたか。それによって何がどう変化していったか。ひと通り調べて描かれている感じです。たとえば戦時中の女性にはモンペを履いているイメージがありますよね。でもその前はスカートか和服だから、都会の人はモンペなんてかっこ悪いと思ったはずです。そのモンペを履くようになる意識の変化って何だろうか。「お国のため」ということだけで全国民、全女性が一丸となって意識が変わったのか。そもそもいつから履くようになったのか……。つまりこれまで見せられてきた「戦時中」を、一度全部疑ってかかる姿勢が芽生えてきたんです。実際調べてみると昭和18年の晩秋に薪や炭の燃料配給が滞り、全国的に寒くなってしまった。それでそれまでに防空演習で履くようになったものの、かっこ悪いから日常的には避けていたモンペを取り出し、足袋や靴下も穴だらけだから「足元が寒いときにモンペは便利だ」ということがいっせいに広まった。そんなことが、むしろ当時の本に書かれているんです。そして『この世界の片隅に』の連載(『漫画アクション』掲載)は、まさにその昭和18年12月の回からなんです。
――昭和と平成の歩調を合わせるように連載されていたんですよね。
片渕
ええ。雑誌連載が始まる前に子ども時代の読みきりエピソードを3つ掲載して、大人時代がひと続きの話となっていました。その最初として平成18年12月発売号に昭和18年12月の話を掲載しているわけですが、すずさんがポーズをつけて「あら すてきな決戦服ですこと」って言われています。前からモンペを着用していたのではなく、その時期からみんな履き始めたというニュアンスが込められている。「戦時中」という大きなくくりではなく変化する大きな流れを描きますよ、みたいに。「何年何月」という原作の章立てはそういう意味だったのかと、この一件でものすごくよく分かりました。毎月毎月少しずつ何かが変化していくのを追いかけていくことで、我々が「戦時中」という概念でしか捉えられてこなかったものの中身をつぶさに知ることになる。そういう原作だったら、我々も同じ姿勢で臨もうと。
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