クリエイターズ・セレクション

UPDATE:2016.12.26

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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海外で高橋留美子作品に没頭した中学時代
――加藤さんはアイドルアニメ、キッズ向け作品で多くのヒットを出されています。特に後者は小さい子の目線を意識していると思いますが、どんな子ども時代でしたか? 
加藤
小学校のころのアニメは、NHKの『アニメ三銃士』(87)や一連の藤子不二雄さん原作のアニメとか、ごく普通に見ていました。よく覚えてるのは『(魔神英雄伝)ワタル』(88)や『(魔動王)グランゾート』(89)、それと再放送の『ルパン三世』や『(魔法の天使)クリィミーマミ』などです。そのころから雑食でしたね(笑)。ハードで硬質な戦闘の多いアニメよりは、むしろ柔らかくてマイルドなもののほうが好きで。オモチャで言えば、プラモデルよりはぬいぐるみみたいなイメージです。
――そのころは、どんな部分に注目されていましたか?
加藤
実はいまにつながる過去の経験では、直接アニメ作品ではないんですが、高橋留美子作品がものすごく自分の中に残っています。1993年、中3のときに親の仕事の関係で1年間アメリカで現地の学校に通っていたんですが、英語がろくに話せないんですよそれで家に帰って漫画を読みふけるようになったんですが、持っていたのが高橋留美子作品ばかりだったんです。中でも『らんま1/2』は何周も読み返したので、いま自然に出てくるギャグ感覚は、その時の影響を受けているのではないかと思います。
――日本の漫画もアニメも、まだそんなに輸出されてなかった時期ですね。
加藤
ブームになる直前ぐらいですかね。日本に戻ってから高校のときに『(新世紀)エヴァンゲリオン』(95)の時代が来ました。
――高橋留美子作品の要素の中で、特にいまのお仕事につながる部分はどこでしょう?
加藤
ギャグの種類が豊富だし、着眼点がすごくユニークで間口が広い部分ですね。マニア向けではないので親の世代もいっしょに笑えて、そこが自分の好みだったのかなと振り返ると思います。世界に温かみがあってキャラづけがギャグに直結するところ、みんな好きになれるキャラクターばかりなところは、自分も常々そうありたいなと目標にしている部分です。それと鳥山明さんも大好きで、『アラレちゃん(Dr.スランプ)』の漫画も何周も読み返しました。没頭した対象は、アニメよりも漫画が多かったですね。
――何周も読むと、お話作りの仕掛けに気づいたりしませんでしたか?
加藤
いえいえ、当時はもっと変な方向に行ってました。アメリカでは、パソコンのBASIC(言語)で「らんまマニアッククイズ」みたいなプログラムを組んで弟と遊んでましたね。「○○というお話の○コマ目で○○と言ったときに乱馬が右手に持ってるものは何でしょう?」みたいな三択ばかり。ディテールに行きすぎて、物語の大局は見えてなかったかと。お話づくりが自分の中に入ってきたのはむしろ20代後半ごろで、海外ドラマを見まくってからですね。
――高校時代には漫画研究部やアニメ研究部に入ったりしなかったんですか。
加藤
それも思わなかったですね。とはいえあのころは、アニメから1回離れた人も『エヴァ』だけはみんな見ているという状態でした。男の子も女の子もビデオを回し見してて、自分もハマりました。とは言え、あれはすごすぎて自分が作れるとはまったく思えないものなんですよ(笑)。「これなら自分にも作れる」と思える部分をどこか感じることが、クリエイティブな道に一歩踏み出すきっかけかなと思いますが、『エヴァ』はあくまで「見るもの」という感じで、アニメ制作への興味は当時はありませんでした。いま考えれば間口はちゃんと広くできてるんですけど、突き進んで開拓するすごいものという感じでしたね。
――衝撃の最終回など、謎めいた部分は当時どうでしたか?
加藤
うーん。本当にわからないからずっと何回も見る。それでも結局「よくわからないね」という感じ(笑)。大学受験の時期で外出できない時期でしたから、ストレス発散のためにアニメを見てて、ものすごくライトな視聴者だったと思います。近い時期だと『セイバーマリオネットJ』(96)が好きでした。主人公の子が別れていくところでは、感動して泣いた覚えがあります。そのころはアニメの仕事にはほとんど関心はなくて、むしろエンタメ業界に行きたいと思っていたんです。
「放送作家」としての仕事を選ぶ
――そのエンタメの世界へ接近し始めたのは、大学時代になりますか?
加藤
そうですね。影響を受けた最初のきっかけは高校生の頃、小室哲哉さんの活躍です。プロデューサーとして考えてものを作って流行らせるというのがカッコいいなと思って、同じように「流行をつくる仕事がしたい」とあこがれました。ただ、音楽は周りに上手い友達が多かったので早々にあきらめ、ゲームもプログラムに数学的な知識が必要になってくるあたりで挫折してしまいました。自分はものすごく文系ですし、『電波少年』が全盛だった時期でもあって、「自分が行けるところがあるとすればテレビかな」と。
――ご経歴には大学時代のアルバイトとありますが、経路としては募集広告ですか?
加藤
大学生の間になんとか放送業界に潜り込み、食えるようになったらそのまま続けよう、ものにならなかったら就職しよう、なんて思っていました。それでバイトのツテを目当てに放送研究会に入ってみたら、ニッポン放送でラジオの電話リクエストの仕事があったんです。リスナーからリクエストの曲名とそれにまつわるエピソードをうかがって、それを文章にまとめて放送作家に渡す仕事で、たった1日だけ空きがあったんですが、そこでスタッフに直接「他の番組でも仕事ないですか?」と聞いたら「いっぱいあるよ」と言われ、その日から大学に行かなくなったわけです(笑)。
――やはり放送局の仕事が水に合っていたんですね。
加藤
最初は「その先になにかあるかも」という期待感です。それでその現場で「放送作家」という仕事を知り、「面白そうだな」と早い時期に感じたので、「書く仕事で実力を見せれば放送作家になれるだろう」と具体的な目標になったんです。芸能界の華やかさが楽しかった部分もありますね。
――放送作家、構成作家という職業は、収録現場に行かないとわからないものですよね。パーソナリティの横にいてメールを選んだりアドバイスを出したりする。その存在ってリスナーには見えないので。
加藤
そうなんです。あの「書いて渡す」というサポート感もかっこよく見えたんですよ。最初のうちはAD(アシスタント・ディレクター)になりたいと思っていましたが、わりとすぐ「放送作家だ」と。作家のみなさんはテレビもラジオもやるし、イベントもやれば、様々な企画もする。放送作家なら、いろんな仕事ができるということが、すごく面白く感じられたんです。まさに「毎日が文化祭」みたいな感じもありますし。それで『宇宙戦艦ヤマト』のラジオドラマや『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』などを手がけていらした藤井青銅さんという先輩作家に拾ってもらいました。すごくユニークな方で、真似はできなかったですが。
――ラジオ時代、何か印象的だったことはありますか?
加藤
10年ぐらいラジオの仕事をしていましたが、あるベテラン作家の方に、「原稿を書くときは誰かひとりの顔を思い浮かべて書くといいよ」とアドバイスされたことですね。僕は当時18歳だったので、意味がわからなかったんですけど、いまになって「そうだよな」と思えます。本当に伝えたい人があればブレずに書ける。実際「アイドルもの」にも人に気持ちを伝えるためにはどうすればいいかということをめぐり、そのような精神性があると考えているので、そのことと合わせてよく思い出します。『アイカツ!』など芸能界ものをやるときには、完全に作家時代の知識や経験を活かしています。たとえば「マイクにあいたツブツブの穴をひとりひとりの観客だと思え」ということを『アイカツ!』で書きましたが、それも当時の現場で言われていたことです。
――テレビのお仕事のほうは、いかがでしょうか。
加藤
『ズームイン!!朝!』などの情報番組でニュースを書いていたことや、『今日の出来事」という報道番組の特集コーナーの原稿を書いていたことが、文章術や情報の伝え方などテクニカルな面で役に立っています。その日のニュースの情報を何も知らない人が10人いたとする。その10人が誤解せず、全員同じことを受け取る文章にするという技術。これはかなり訓練しましたし、アニメを書くときにも大切にしています。もちろん物語のふくらみとしてはいろんな受け取り方があっていいんですが、情報の受け取り方や「こう思ってほしい」というコアな部分は、本当に10人にきっちり伝えるものを書かなければならない。
――その具体的な手法は、どんなことですか?
加藤
人間は基本的に一度にひとつのことしか理解できない。それが大前提としてあります。情報を多めにグチャッと入れてしまうと、伝わるものも伝わらない。だったらどんな情報を切り出して興味深そうに並べ、最後にポン! と印象的なことで締めくくるのか。そんな技術を日々すごく頭を悩ませつつ、磨いていました。おかげでいまは体感として「ここはこうすればいい」と、すぐ判断できます。
結果をみて変化していくシリーズ構成
――ラジオ局には、タレントさんや声優さんもかなり出入りしています。
加藤
特にニッポン放送は芸能界寄りの局ですから、新人から大御所までものすごくいっぱいいらして、学生には刺激的でしたね。とりわけ魅力的に感じたのは「共同作業」という点です。それぞれ役割を果たしていく中で、華のある仕事が輝く。スタッフはその準備をしていく。タレントはそれを最高にいい形でパフォーマンスする。この分業感が、ものすごく「プロの仕事」という感じがして面白かったんですね。
――もうひとつ放送の仕事では、生放送のタイムキープということも大事ですよね。
加藤
はい。僕が18歳から20代後半くらいまでやった放送の仕事で特徴的だったのは、ラジオもテレビも8割くらいが生放送番組だったことです。特に生の情報番組でニュースや交通情報を書く時は、「あと何秒のうちに書かないとオンエアに間に合わない」という緊迫感の中でやっていました。準備期間の長いアニメと違って、原稿を書く締め切りがすぐ目の前にあるのが生放送(笑)。それを1回1回、1日1日乗り越えたという達成感はありましたね。週に番組を何本も持っていたし、20歳ぐらいで毎週毎週ずっとそれをやってたのが、後々良かったのかもしれません。
――なぜ放送の話題を掘り下げているかと言うと、近年のテレビアニメは「番組」という感覚が薄れていると感じているからなんです。特に深夜アニメだと放送前にシナリオの開発が終わっていて、予定と違う反応があっても手遅れです。でも加藤さんは、番組を回しながら急所を押さえて変えていく感じのお仕事が多くて、興味深いんです。
加藤
たしかに『ドリフェス!』のような1クールものは先に決め込んで作っていきますが、玩具スポンサーがついている1年ものでは、むしろその時その時でベストなものに変化していったほうがいいと思っているんです。
――先ほどの生放送に近い感覚が、やはりあるということですね。
加藤
近いです。監督もライターも現場の人たちも、誰でもやってみてわかることってすごく多いからです。「このキャラがウケた」「もっとこうしたらいい」というのも、やったことで見えてきますし、商品的にも始まってから「ここを売りたいからこうしてほしい」という要望が出ることもあります。変わっていくことはいいことなんです。もちろん1年間のストーリーものなら「こういう経緯をたどってこういう風に終わります」ということは決めていますが、「一度決めたんだからこれで」ではなく、みんなが幸せになるなら変えてしまってもいいよと。かなり有名な海外ドラマでも、シーズン1と2でキャラの性格が全然変わったりしますよね。変化がある分だけ、ナマモノという感じがするんです。
――いろんな反応をフィードバックしながら進めているんですね。
加藤
すごく動きやすいキャラが出てくれば、勝手にどんどんハネていくものですし、育ったキャラが自由に動けるよう、スキを残した状態にしておくほうがいいかなと。商品連動ものの場合、10月スタートだと最初のクリスマス商戦までの1クールは初期設定の紹介もふくめ、やることがいっぱいありますが、1月半ばを過ぎて2月中旬ぐらいまでは自由にいろいろなことをやれる余白が生まれます。ある程度は「後で考えればいい」と構成上も空けておく。決め込むところとライブ感をもつところの配分は最初に決めておく。その点では「どんどん作り変えていく」というのは正確ではなくて、緩急つけてやっているということです。
――つくってみてわかるという点では、声優さんの出すイメージが加わる部分も大きいかと思います。録音現場には行かれてますか?
加藤
立ち上げと節目には必ず行きます。「こう来るか」と、声優さんに刺激を受けることも多々ありますね。オーディションのとき面白いと思った人が現場でさらに面白くなって、もっと出番を増やしたくなるみたいなことも起きるわけです。その結果、すごく楽しいキャラになった例もありますね。1年ものの場合は、そのようなキャラの変化まで吸収できるシリーズ構成でありたいなと。
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