TVのチャンネルを回すように、予想しない雑多なネタと出会ってみたい。 業界の旬なトレンド、深いウンチク、体験談などを満載。 アニメ評論家の第一人者ならではの、ユニークな視点でつづる月一コラム。
東京アニメアワードフェスティバルで
最先端を体感!
映画祭の話題が続きます。前々回も話題にしましたが、いよいよ3月20日から23日にかけて映画祭『東京アニメアワードフェスティバル』(TAAF)が、TOHOシネマズ日本橋のオープンと同時に開催されます。世界各地から作品を集めて上映される絶好のチャンス。アニメーショが好きならば必見のイベントです。
(公式サイト:http://animefestival.jp/) これまでのアワードは贈賞式があるのみで、一部シネコン以外、上映会は特に行われていませんでした。しかし、アニメーションは「見る」ことそれ自体が最重要なのです。特に今回は一般アニメファンからの声も大きく反映されながらの受賞となるので、ぜひとも多くの方に参加していただきたいなと願っています。 というのは、そもそもアニメ制作自体が集団活動によるもので、大勢の意思やパワーが結集したものであるからです。そしてフィルムは単体では成立せず、観客に見られて、より大勢の人の心に届いて、個々人が感じたことが響き合って、初めて完成となるものだからです。ぜひそれを「劇場」という同時鑑賞の場で実感していただけないかなと。 配信やパッケージなどで、個人の鑑賞が主流になった時代です。とは言いながら、面白いアニメに出会ったら、自分の胸の中にしまっておけず、感想などを大勢と共有したくなる。その共有したときの大きな想いの共鳴が求められているのです。 もうひとつ、映画祭で面白いのは「世界をとらえる視点の多様性」です。これは本当に刺激的で、まさに心のチャンネルが開かれる感じさえします。「生命なきものを動かし、生命をふきこむ」というアニメーションの基本定義に対して、具体的なアプローチは無限にあるんですね。その最先端を切り拓く様子が見えるのも、映画祭の妙味です。素材も様式も動かし方も、光の処理も音楽とのシンクロも、具体的だったり抽象的だったり、ラフだったり精密だったり、繊細さから大胆さまで、とにかく振れ幅がすごいのです。 商業用アニメは量産と流通のために規格化された「製品」の側面をもちます。同時に制約も多い。各国の文化的背景をもったアニメーションは、それとまったく離れたものが多いのです。日常感覚をいったん切り離す経験は、ファンタジーものなどによくある「異世界への往還」にも通じるでしょう。そこから戻ったとき、これまで「当たり前」と思いこんできた発想のカベが崩れ、「そういうことか」と前には見えなかった世界やディテールが発見できたりする。そんな面白い経験を、私も何度となく繰りかえして、アニメーションの奥深さと魅力を再認識してきました。 作品応募総数も増えているそうで、これはCGふくめたデジタル映像時代が円熟期にはいったことを意味しているのでしょう。かつては「アニメーションに必要な1コマ撮影」をするだけで大変でした。商業・アートを問わず、アニメーションは「やり直しの連続」なので、フィルム現像しなくても確認できるようになった時代の到来が、この量と質の潤沢さにつながっているのでしょう。 私がもっとも切望するのは「アニメをつくりたい」と思う人が、プロフェッショナル・アマチュア問わず増えることです。誰もが手を動かし、アニメーションを体験して、その楽しさに触れてほしい。今回の映画祭も、その触媒になることを願っています。 では、また次回。
PROFILE
アニメ評論家 氷川竜介
1958年、兵庫県姫路市生まれ。東京工業大学卒。 サラリーマン経験を経て、現在はアニメ・特撮を中心とした文筆業。 |