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UPDATE:2014.8.25

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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原点となった作品の思い出を交えつつ、クリエイターが自身と自作を振り返る好評連載。今回は最新作『九十九』が1月16日に米国アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされて話題のデジタル世代の旗手・森田修平にお話をうかがいます。
大友克洋監督のアニメーション映画『AKIRA』に衝撃を受け、CG映像で世界観と物語が一体となった作品づくりをめざし、短編『カクレンボ』を自主制作。さらにOVA『FREEDOM』の監督に抜てきし、日本のアニメ文化を見事にCG世界で実現しただけでなく、若者らしい無鉄砲さが未来を切り拓く挑戦の物語で感動を誘いました。
技術的に確かなものを持ちつつ、過去に囚われない発想と快活な性格で誰も観たことのない世界と物語をCGでビジュアル化する森田監督の自由な人生と作品のツボを探っていきましょう!
アニメ、映像業界への関心
――まずはアニメに関心を抱かれたきっかけからお願いします。
森田
兄がちょうど『ガンダム世代』でして、アニメや漫画はよく借りていました。他にも宮崎駿監督作品など、よく観ていた方でしょう。漫画は松本零士さんにハマっていて、中でも『ミライザーバン』(76)は小学生の僕にとって衝撃的な作品でした。とはいえ、「アニメだけ」というタイプではなかったんです。どちらかというと絵などの習いごとや、野球、サッカー、バスケといったスポーツに熱中した子ども時代でした。
――それが意識してアニメを観るようになったきっかけは?
森田
大学に入った時に観た『AKIRA』(88)からですね。もうコマ送りで研究するくらいで、爆発シーンにものすごく変なコマが入っているのに気づいてしまい、「アニメって面白いな」と思うようになりました。 そこから大友克洋さんの『迷宮物語』(87)や『ロボットカーニバル』(87)など過去の作品をどんどん追いかけるようになったので、この世界に入るきっかけは、大友克洋さんの影響が一番大きかったと思います。
――映像業界を職業として関心をもつようになったのは、いつぐらいですか?
森田
高校生のころすでに漠然とは思っていました。大学時代にはMacintosh G3が出て、個人でもCGが可能になる時代になり、そこで「自分も何か映像をつくってみよう」と。大学2年生のときに神風動画にアルバイトのCGスタッフとして入ったことが決定的で、仕事としての作品づくりに関わる機会が早めに得られたのはラッキーでした。現在のセルシェーダーのようなツールもまだなくて、CGをアニメっぽく表現すること自体が難しく、いろんな試行錯誤を繰りかえしました。それでCGのラインの内側をベタ塗りにしたりするうちに、「自分でもアニメがつくれそうだな」という感覚が生まれてきて、作品づくりをしたいという意欲がどんどん高まっていきました。
――平行してSTUDIO 4℃でもお仕事をされています。
森田
ちょうど『アニマトリックス』(03)の立ち上げをしていた時期で、募集があったんです。履歴書には「演出」の仕事を希望しましたが、最初はCG班に配属されたんです。それが運よく1カ月もしないうちに小原秀一さんが自分の作業を見て気に入ってくださり、その推薦で『GRASSHOPPA!』(ショートフィルム連載マガジン)に収録された『ダンペトリー教授の憂鬱』(02)という短編のCGI監督になるんです。この作品では他に撮影など演出的なこともたくさんやりましたので、「CGを使ってアニメをつくる」という制作のイロハはそこで学んだものです。 その時期には『アニマトリックス -BEYOND』を監督された森本晃司さんの作品にもハマりました。『ロボットカーニバル フランケンの歯車』(87)など初期作品まで掘り下げ、『AKIRA』のようにコマ送りで観て研究しました。実際に森本さんにお会いした時に森本さんの世界に対する感覚に共感するところがありました。セリフやドラマでは伝わりにくい感覚を追っかけているというか。たとえば神社や寺の中に入ると、ヒヤっとする感覚がありますが、「ああいうのを作品の色として入れたいね」なんて話をよくしてました。
一念発起して『カクレンボ』を自主制作
――そしてSTUDIO4℃から独立され、自主作品『カクレンボ』(05)を制作されます。そのきっかけは?
森田
思う存分、やりたい作品をやってみたいという動機が大きいですね。当時のCG作品には「世界観にストーリーが乗っかっていない」という感覚がありました。それで自分の納得できる世界観に納得できるストーリーを乗せた作品をつくってみたいと。神風動画やSTUDIO4℃での経験から、「単なるCGスタッフとして作業を続けているだけでは、アニメ監督になれそうにないな」と思ったことも理由のひとつです。「どうすれば演出に関わっていけるのか?」と一種の焦りもあって、一念発起して自分が積み重ねてきたものを出しきってみようと借金をして、『カクレンボ』をつくり始めました。ちょうど新企画を探していたコミックス・ウェーブさんからも出資を受け、完成にこぎつけたわけです。
――当時は『ほしのこえ』(02)の直後で、タイミング的にもよかったのでは?
森田
そうですね。予算的にスタッフをたくさん呼ぶこともできないという理由で、ほとんどが桟敷大祐と2人、ごく少人数でつくっています。アニメのワークフローは把握していたので、基本的には通常のアニメと同じような手法です。
――3DCGでも一度2Dのセルと背景にして、コンポジット段階で撮影効果を加えていくという発想ですよね。
森田
ええ。ただ当時はツールやマシンも発達していなかったので、ひとコマずつの手づくりに近く、かなり苦労しました。今だったら一発でレンダリング処理できることでも、非常にローテクでアナログなことをしないとできないので、われながらよくやったなと思います(笑)。ただ少人数のチームワークはよくて、桟敷大祐がデザインをあげると、当時インターネット小説を書いていて脚本をお願いしていた黒史郎さんがそれに応え、すぐに修正してくれるなどカベがいっさいなく、非常にいいキャッチボールができました。まだ「素人」だったからこそ怖いもの知らずでできたことかもしれませんが、ミニマムな制作環境はいいなと。
――『カクレンボ』は和風な世界感も特徴的でした。
森田
もともと民話が大好きで、「モノに魂が宿る」「口減らし」というような話をずっとやってみたかったんです。でもそれだけだと単なる昔話になってしまう。何か新しい表現にしないといけない。そこで大好きな柳田國男さんの「東京のような繁華の町中でも、夜分だけは隠れんぼはせぬことにしている」(「山の人生」より)という想像力をかきたてられる一文に注目し、 その「東京」という言葉を大きく肥大化させて、和風なお話にサイバーな雰囲気を加えてみました。冒頭にもその一文を引用しています。
――CGキャラの動きに作画のアニメに近い誇張があり、近年3DCGの世界で流行している手法を先取りした感もあります。
森田
当時、2Dの作画から3DCGに替わった瞬間に違和感を感じることがけっこうあって、一貫した作品として受け入れることができなくなると、すごく嫌だったんです。アニメ的な「タメ」「ツメ」の感覚は、アニメをコマ送りで観るのが好きだった時期に覚えたものです(笑)。たしかに、当時はそれを3DCGでやった作品は、まだまだ少なかったかもしれません。ですが本作でお客さんに楽しんでほしかったのは「技術」ではなく、あくまでも『カクレンボ』の「世界観」なんです。
――そうした姿勢は森田さんの作品に共通しています。
森田
昔も今も、そこは変わっていませんね。本作で「世界観」を描ききることができたことで自信がつきました。ただし「ストーリー」では悔しい部分が残ったので、今後はもっとストーリーに力を入れていきたいとも思いました。
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