――各話演出から監督になっていく、その経緯についても教えてください。
- 西村
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『うる星やつら』は3年目から監督が押井さんからやまざきさんに交代しますが、そのやまざきさんが劇場版で忙しくなり、TVシリーズの助監督に推薦されました。実際には現場監督に近い仕事なので、このあたりが監督業の始まりという感じですね。でも『らんま1/2 (熱闘編)』(89)でも『TVA 逮捕しちゃうぞ』(96)にしても、最初から僕のところに監督のオファーがあったわけではなく、他の方からの引き継ぎなんです。つまり「もうお前しかいない」と消去法で言われて途中参加(笑)。監督としてのカッチリとした仕事をやった感覚がある最初の作品は、『プロゴルファー猿』(85)です。これはTV局や制作会社のプロデューサー初号を観に来て意見も言ってくれて、充実してました。それより前は、みなさんあまり現場に関心がくて、その分「やりたいことをやってもオッケー!」みたいな空気でやっていたんですね。決してお金にはならないから、好きなヤツが一生懸命つくることで結果的に面白くなる、みたいな作り方で。
――細かくコントロールされている現在とは、だいぶ違いますね。
- 西村
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当時はオンエアしたらそれで終わり、つくった作品が放映後にもお金になるという発想自体、ほとんどなかったですから。やはりアニメのビジネスがビデオパッケージを売って儲ける方向にシフトしていった結果、「誰がつくる?」「どうやってつくる?」「丁寧にしないと」などなど、ガチガチに固まっていきましたね。
――『プロゴルファー猿』では、今川泰宏さんの大胆な演出も話題になりました。
- 西村
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最初は「ガンダム的なコンテ」があがってきて驚きました(笑)。それまで富野作品をだいぶ経験されているので、当然だとは思いつつですが。
――具体的には、どんな部分が違うのでしょうか?
- 西村
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これは、完全な伝聞ですが富野さんは「カット頭とカット尻は必ず動いていなければならない」と指示なさったらしい。「引きセルでもカメラワークでも何でもいいから、とにかく動かせ!」と。『機動戦士ガンダム』にしても、枚数は使えないからそんなに動かせない。その代わり、カメラを動かす。つまり画角の大小も動きのうちだと。まずドーン! と広い画を構えて、グッとアップになったときには作画で動いている。とにかく常に画面が動き続けていて、躍動している。そういう画を頭からケツまでつなげていく。そんなコンテが来たので、「いやいや、この作品は違うから」とお願いしましたが、たしかに彼の参加で方向性も固まりました。
――手応えや周囲の反応はいかがでしたか?
- 西村
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今川さんや須永(司)さんなど、実力のある演出が参加していますし、原作をリスペクトして忠実に再現しているという自負もありました。何より原作者の藤子不二雄Aさんがものすごく気にいってくれて、「ああ、方向性ほ正しかったんだ」と監督としての自信につながりました。