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UPDATE:2017.3.7

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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なんでも楽しめたテレビ原体験
――さて、いつもみなさんにうかがっているんですが、子どものころご覧になってたアニメはどんな作品でしたか?
藤田
テレビっ子でしたね。バラエティでもなんでもひたすら観てました。幼稚園ぐらいのときかな、朝6時くらいから『ウルトラマン』(66)の再放送があって、早起きして実相寺(昭雄)監督の回を「コワイよ」と震えながら観ていた記憶があります。
――ジャミラ(第23話「故郷は地球」)とかですか?
藤田
世代的には『(魔神英雄伝)ワタル』(88)が小四のときで、主人公も小四ですから、ものすごくハマってました。サンライズ作品ではいちばん身近な感じがします。
――どんな部分が好きでしたか?
藤田
それは「おもしろかっこいい」ところですよ(笑)。それで「おもしろがるのって大事だな」と。
――今につながってる感じがしますね。
藤田
設定が込み入ってくると、ついてけなくなるアホな子どもだったんですよ。『(太陽の牙)ダグラム』(81)とか何が起きてるのか、途中からぜんぜん分からなくなって。
――やはりおもしろいキャラやお話で転がしていくほうがお好きですか。
藤田
あのころのアニメって、全体にそうでしたよね。あとは『北斗の拳』ですね。再放送が一回終わったらまた最初からループしていたので、ずっとグルグル観てるという。笑える回も熱い回も両方あって、おもしろさ全部入りがいいところです。それって、子どもにはうれしいものなんです。
――ご自身でマンガを描いたりは?
藤田
落書きはよく描いてました。でももっとうまい人がいて、手先があまり器用なほうじゃないんですね。
――映像としての興味をもたれたのは、いつぐらいですか?
藤田
中高生で一回アニメを離れ、高校は部活と映画ばかりになりました。そうしたらたまたまBSで『(機動警察)パトレイバー』の劇場版を観たんです。あれは王道のエンタメなので、「アニメもすごくおもしろいんだな」と復活し、そこから分け隔てなくアニメをまた見始めました。
――部活は何部ですか?
藤田
ラグビー部でした。近所にラグビースクールがあって、小学校時代から親にやらされていたので。中学高校だと、体育会系でも意外にアニメやマンガ好きな人がいるんです。ヤンキーマンガに誰よりも詳しい人とか。
――映画にハマるきっかけは?
藤田
割と自然でしたね。それまで見たことないものが見れるのが好きで。いまでも誰もやったことないことをやるのが好き過ぎて、好奇心に振りまわされながら生きている感じがします。
――では邦画洋画や時期の区別もなく。
藤田
そうですね、何でも観てました。お金はないから、なるべくレンタルビデオで。ようやく映画館に行けるようになった大学生のころ、二番館(名画座)がまだギリギリあったので、行きまくって何でも観てました。タルコフスキーもすごく好きで。
――寝なかったという意味ですね(笑)。
藤田
あの退屈だけど、妙に気になる感じがね(笑)。長回しで「まだしゃべんない、まだしゃべんない……。あっ、やっとしゃべった」みたいに、カット頭30秒ぐらい空いたりするんですよ。あのころ変な映画がいろいろ流行ってて、デレク・ジャーマンとか、なんでも観てました。
――そんな映画や監督の情報源は?
藤田
まだネットのない時代ですから、ぴあ(東京のタウン情報誌)ですね。おのずと映画好きが集まったりする中に、ちょっと詳しい人がいて、「これぐらいは観ておかないとダメだぞ」ってベタな名作をオススメしてくれる。そうやって少しずつ観てました。
――ご自身で映像をつくるほうは、どうでしたか?
藤田
自分で撮るきっかけは、中学のとき観た塚本晋也監督の『鉄男』(89)です。それまでテレビでも映画でも「プロのつくった完成品」のイメージがありましたが、初めて「映画って撮ってもいいんだ」って感覚になり、大学に入ったらすぐ8ミリ(フィルム)のある映研(映画研究会)に入って、まずしょうもないコマ撮りから始めるという、お定まりのコースです。
――となると、カメラはFUJICA ZC1000(自主アニメ制作で定番の名機)でしょうか。
藤田
1000と1200、800もあったのかな。映画を観るだけの一般部員から会費をかき集めてカメラを買う、そんな活動をしてました(笑)。そう言えば、ZCを使うことで判明したんですよ、自分が不器用だってことが。スプライシング(8ミリフィルムを切断してテープでつないで編集する作業)とか全然ダメで、撮ると露出を失敗したり。
――どんな作品を撮られましたか?
藤田
コントばかりですね。短いのしか撮る根性がないという理由もありますが、たまたまウチの部は小難しい、誰が喜ぶのか不明なフィルムが多かったんです。そんな思春期をこじらせたような作品ばかり上映会で見せられたら観客は地獄だなと。そうじゃない箸休め的な笑えるものを誰か撮らないとダメだって、勝手に思って勝手に撮ってました。
――何人ぐらいで撮ってたんですか?
藤田
賛同者が少ないので、カメラマンと自分と少人数で撮れる「ひとりコント」とか、コマ撮りでわけのわからない動きをするとか、そんなのばかりでした。シナリオも書かずにぶっつけ本番、その場のノリで進めます。和気あいあいと、キャッキャ映画撮ってるのも大嫌いでしたからね(笑)。「楽しそうにやりやがって。そんな友だちがいっぱいいるなら、映画なんか観るなよ」って(笑)。特撮にも挑戦しましたが、何の知識もなく先輩と紙で怪物をつくり、がんばって完成させたものの重くて動かせない(笑)。しかも撮ってるうちからボロボロ壊れてしまい、1カットも撮れなくて「この夏って何だったんだろう……」みたいな。
――それだとメイキングを撮ったほうがおもしろくなったりして。
藤田
そうですね(笑)。むしろそのほうが良かったですね。
サンライズ入社のきっかけ
――いろんなチャレンジをされてますね。
藤田
やっぱり「やったことのないのをやるのが好き」ということなんですね。いまでもいろんなジャンルの演出をさせてもらえるなら、ぜひやりたいです。でも、9割方コメディしかオファーが来なくて。
――せっかくの機会ですから、募集されてみては?
藤田
あっはっは。『ラブライブ!』のコンテだって、ちゃんと書いてるんだよ、なんてね。作品が増えたせいで、最近はアニメーションにも多様性が出てきたかなって思っています。その中で次は何をやろうか、いまは模索中ですし、その間しばらくはコメディをやっていくことになるでしょうね。
――でも、コメディをできる方って、そんなに多くないから貴重ですよ。
藤田
「なんでみんなつくらないのかな?」ってよく思いますけどね。
――よく言われますが、人を笑わせるのは泣かせるのより、はるかに難しいからでしょう。軽そうに見せる計算も必要でしょうし。
藤田
ナメられたら、ある意味成功という側面はありますね。内輪でも「コメディだから楽しそうだと思ってスタッフに入ったのに、思ったより大変なんですね」って言われたこともあります(笑)。「そりゃ作るのは大変だよ、普通に!」って思うんだけど。ホントに好き勝手にやったら、意外につまらなくなりますし、抑えるところは抑制しないといけない。コメディだからこそ、よけいに繊細に感情をひろって積んでいかないと、笑いにつながらないんです。
――そんな藤田監督が、アニメ業界に入ろうと思った動機は何ですか?
藤田
それはメチャ不純なんですよ。就職活動の時期は、とりあえずエンタメで映像をつくれる会社を受けようと思ってました。でも超ボンクラ学生だったので、どこが何をつくってるか分からず、CMや映像制作で名前を知ってる会社を適当に受けてたんです。だから「あっ、サンライズ。知ってる知ってる」なんてノリで受けたら、サンライズだけ合格したと(笑)。ホントに不純ですよね。当時社長だった吉井(孝幸)さんもよく覚えてるらしいですけど、最終面接で「ワタル好きです」の他は、野球の江夏の話しかしなかったそうで(笑)。アニメづくりをよく知らないまま入ってしまいました。
――ガンダムの名前を出さないところがいいですね。
藤田
もちろんガンダムつくってる会社だって知ってましたし、普通にガンダムもひと通りは観てましたけど、ガンダムつくりたくて来たけじゃないってことです。なんでもいいからエンタメの映像がつくりたかった。実写はいろいろ聞いていて、なかなか監督になって思うように撮れないのはイヤだなって思って。だったらもっとお客が確実に多く、人に向けてつくれるシステムになってるアニメ業界のほうがいいなって思えたんで。
――最初から演出志望でしたか?
藤田
いえいえ、アニメにおける演出が何なのかも分からないまま来てしまったということですよ(笑)。制作を3年ぐらいやったとき、出世できるかどうか分からないにせよ、もし出世したら、ものづくりから離れるのは寂しいなと思ったんです。ずっとつくっていたかった。むしろそっちが演出になった動機としては大きかったですね。
――現場にずっといたいということですか?
藤田
制作デスクって大変な仕事なんですよ。スタジオの潤滑油として大事な役割だけど、ストレスを一身に受けるトラブルバスターみたいな仕事ですから。それよりはつくっていたいなと。あとは性分もあります。人に仕事をお願いして追っかけるより、自分ががんばるほうがぜんぜんストレスがないなと。
――コンテ・演出を初めて担当された作品は何でしょうか?
藤田
犬夜叉』から演出助手をやらせてもらいました。まだギリギリセルの時代だったので、演出はクリエイティブ的なことよりも、素材をどうやって撮影さんが撮れるようにチェックしてつくるかって技術面が大事でした。さっき言ったように不器用なので、四苦八苦してましたね。クリエイティブな夢も、純粋に技術的に積みあげて持っていかないと実現できないんだなって。それはどの業界でも当たり前ですけどね。下地がちゃんとできなければ、そこに乗っかるものなんてできない。そういうことを体感で覚えていた感じでした。クソ真面目だったと思いますよ、当時は(笑)。
テレビ番組の性質を追求した『銀魂』
――さて、監督の代表作である『銀魂』の想い出もうかがいたいと思います。
藤田
たまたま『銀魂』が始まって呼ばれたとき、「あっ、これはぜひやってみたい」と思いました。原作者の空知英秋先生のノリが「分かる分かる」という感じで、すんなりと原作に入っていけました。そこで高松信司監督(初代『銀魂』監督)と出逢えたのは、すごく大きかったですね。高松さんは「これは作品じゃなくて番組だ」って、よくおっしゃってました。もちろんアニメは作品であってもいいけれど、テレビっていうメディアを活かした番組としてのアニメーションって、もっと何かできないのかなと。
――たしかに『銀魂』はテレビという存在をいじり倒して成功した感じです。提供バックから始まって、コマーシャル位置まで。
藤田
それはすべて「テレビ番組として楽しいものを」ってことなんですよ。自分たちの世代はバブルの時期、好き勝手やってるテレビ番組を観て育ってますから。ちょっと先に何が出てくるか分からない、おもちゃ箱感覚に似たドキドキ感でテレビを観ていました。そういう感覚を引き継いでいければなあと思って、やってました。
――CM枠までいじるのは、観てて「どうやってるのかな」と不思議に思いました。
藤田
あれは割とシナリオ段階で決めて組み立ているんです。「こういう話だから、ここまで一気に見せたい」とか、「お客さんは毎週、どうせ頭のCMからこう入るだろうって油断してるから、ここで裏切ろう」とか、意図的にできる話数ではシナリオに入れてます。長期シリーズなので、こっちも飽きないようにと何か少しでも違うことを。やってる側がルーティンになったらおしまいですから。
――途中から監督を引き継いだわけですよね?(第88話から第99話が監督補、第100話から第265話まで監督)。
藤田
最初は各話演出でしたが、高松さんが監督を降りることになったからですね。原作のストックもあまりないけれど、初監督のチャンスだし、なんとか1年ぐらい乗り切れば終わるだろうと引き受けました。そしたら、これが終わらなかったんですよ(笑)。
――現時点で、シリーズ最長の監督じゃないですか(笑)。
藤田
メチャ長くなってしまったんですよ。大先輩の後ですから、自分はあくまでリリーフのつもりでした。死ぬ気でやればなんとか形になって1年はもつかなと思ったら、あんなに続くとはまるで思ってませんでした。
――延長、延長、また延長ですか。
藤田
「頼むから休ませてくれ」って、ずっと言ってましたね。『銀魂』は、原作がないとムリだからって。オリジナルで作るのは、キツイですよ。漫画の場合、絵もストーリーもひとりで完結しますから、非常にパワフルにできるんです。ある種のトリッキーな部分含めて原作の良さなのに、それを集団作業のアニメで再現するのって難しいんです。特に『銀魂』では、オリジナルにすること自体望まれてないかなと思ったので、普通にオリジナルをつくるよりも大変な作業でした。原作への影響を考えると成長させられないし、関係性を変えることもできない。これは厳しいですよ。
――いくつかの勢力をうまく使って、乗り切っているなと思いました。
藤田
まだギリギリ20代から30代前半だったので、勢いとテンションで回すことができましたね。「週に一回ぐらい、こういう時間があっていいんじゃないか」という感じで。
――自分の周辺では、「小学生が楽しげに観ているよ」とよく聞きました。
藤田
自分が小学生のころって、いちばん何も考えず熱心にテレビを観てた時期なので、その実体験を乗せられたからでしょうね。せいぜいVHSテープを人に一所懸命頼んでなんとか借りて観る、なんて時代ですから、「ソフトを買う」ってことに原体験がないんですよ。ソフトを買う作品をつくるのって、理屈では分かっても実体験がないので、体重を乗せられない競技になってしまうなって。みんなよくやってるなって感心しています。
――なるほど。作り手に「ビデオソフト買えて嬉しい」という経験がないのは、アニメビジネス上の盲点になってますね。『銀魂』は「おい、夕べの観たかよ!」というテレビ原体験の再来が嬉しかったんですよ。
藤田
バカみたいにテレビのごっこ遊びするとか。そういう子どもでしたから、教室の後ろで子どもたちがマネしてくれれば、それが最高の勝ちだなって思って、どの作品もやってます。自分の実体験が、アニメに乗せるものとしてはいちばん大きいですから。
――それは確実に伝わってると思います。
藤田
だとしたら嬉しいですね。
――長かった『銀魂』の中でも、特に想い出深いエピソードがあれば、お願いします。
藤田
いちばん大きいのは、第3シーズンのラストです(第150話「長いものには巻かれろ!!」)。いわゆる「ニセ最終回」のハシリですね。あれが人生の中で、もっともしんどかった回です。
――ご苦労はどの辺に?
藤田
できあがって試写したとき、「これってオンエアで観ないと、ぜんぜん面白くないな」って思ったんです。同時に「ああ、こんな手触りのアニメはこれまでなかったかもしれない」という手応えもあって。なんでこんなに苦労したかと言えば、それは過去にこういうのがなかったからだ。前例のないことをしてたんだなって、できあがってようやく思えたんです。「番組っぽい番組を」といういちばん最初に思った狙いどおりつくれた。その後はあれをフォーマットにすることで、つくり続けていけたんだと思います。
――配信の場合だと、リアルタイムで放送されていたときのことを思い出しながら……になってしまいますね(笑)。
藤田
テレビ東京さんも、クレーム電話を受けるのを待ちかまえていたそうですし(笑)。ウチの親からもオンエアの時、「終わるのか?」って電話かかってきました。いろんな方面に協力してもらえて、かなりダマでいきなり「本日をもって急に最終回です」って仕掛けができました。あの大仕掛けはホントに苦しかったけど楽しかったです。
――その瞬間にしかない一期一会感は、まさにテレビ放送ならではの醍醐味ですね。
藤田
いまはコンプライアンス的なことが全体に厳しくなってて、もう同じことはやりにくいでしょう。それは年々感じますね。
――ラテ欄(新聞のラジオ・テレビ欄)やEPGまでいじり倒す仕掛けを見るたび、「これってソフトや配信ではどうするのかな」って思ってました。
藤田
ぜんぜん気にしてなかったです(笑)。なぜなら、オンエアがいちばんお客の数が多いですから。そこで観た人をつかめれば、おのずとついてくるだろうと、勝手に思ってました。ファーストインパクトで勝負です。
――フォーマットいじりと言えば、『劇場版銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ』もすごかったですね。「映画泥棒」に出てくる通称ビデオ男まで本編に取りこんだ結果、ウチの奥さんまでコラボのウォーニングが続いているとダマされてしまいました(笑)。
藤田
そうですか(笑)。がんばって各方面から許可をとった甲斐がありました。後からクレームを言われてお蔵入りしないよう、あらゆる手練手管を使いました。
――「いま劇場に見に行かないとダメだ!」と、リアルタイム性のつよいネタが多く、Twitterで騒いだ記憶もあります。
藤田
そういう仕掛けって、やっぱり楽しいんですよ。『銀魂』は原作も何かと時事ネタをひろったりして、そんなノリですから。『銀魂』を映像化するのって、そういう要素を含めてやっていくことじゃないかと。
――同時性をふくめていじって笑いにつなげるのって、アニメでは原理的に難しいと思うので、それだけに成功すると大きいです。
藤田
ギャグ、コメディって、やはりそのときだけのものだと思っています。空気感も時代の一部だからです。自分も上の世代が熱狂的になってるマンガを後追いで読んで、ピンと来なかったりしたんですね。その時代の流れの中で読むと、何が出るか分からないワクワクの連続で、最高だったんだろうなって想像はつくものの、結局コメディやるって、そういうことなのかなって。あとは『サルまん』(竹熊健太郎・相原コージの漫画『サルでも描けるまんが教室』)の影響も大きいです。「物事はいじってナンボ」という目線で、ちょっとメタでものをつくっていいんだ、こういうことしていいんだと。あれも毎回毎回、テレビ番組みたいなノリがありました。
――最後に何か締めくくりの言葉をいただけますか?
藤田
自作を語るのは苦手なので、「気楽に楽しく観てください」って、それに尽きますね。
――ちなみに次回作は?
藤田
それはまだ発表できないです(笑)。楽しみにお待ちいただければと思います。
――ありがとうございました。


PROFILE
藤田陽一(ふじた・よういち)
1978年1月14日、兵庫県生まれ。2000年にサンライズへ入社し、制作進行として『犬夜叉』(00)に参加。同作の演出助手を経て、『陰陽大戦記』(04/菱田正和監督)で演出デビュー。『銀魂』(06/高松信司監督)に各話演出として参加後、第88話で監督補、第100話から監督となり、以後およそ6年間、同シリーズの監督をつとめる。2013年には『劇場版銀魂完結編 万事屋よ永遠なれ』で劇場映画を初監督。2015年に『銀魂』シリーズの監督を宮脇千鶴に交代後、同年に赤塚不二夫原作の『おそ松さん』を画期的なアレンジとノリで監督し、女性ファンを中心に大ブームを巻き起こした。初のオリジナル監督作品となる『クラシカロイド』(16)は、2016年10月からNHK Eテレで放送中。


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