――『ほしのこえ』の衝撃から、もう11年になります。
その間の自作を振りかえってみて、どう思われますか。
- 新海
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『ほしのこえ』は、あれほど多くの観客に観てもらえるとは思わずに作った故の稚拙さが目立ち、「そんなつもりじゃなかったんです」と単純に恥ずかしいですね。メッセージ性に感動していただける部分は何年経っても変わらないだろうけれど、既に作者の手を離れている作品とも思っています。僕はアニメーションスタッフとしての下積みを経験しないまま、いきなり監督としてデビューしてしまったので、ある種の新鮮味のある表現や何も知らないがゆえに思いきって達成できたこともたくさんあると思う一方、今になって未熟さや当然やるべきことができなかった反省が、どの作品にもあるんです。唯一その反省がないのが『言の葉の庭』で、「これがデビュー作です」と宣言したいくらいです(笑)。
――でも、『言の葉の庭』から入ってくださった方は過去作にさかのぼると思いますし……。
- 新海
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そうですね。気に入った方はそうしていただけると、『言の葉』につながる要素をたくさん発見できると思います。PV的な音楽に合わせたカット割りは『雲のむこう、約束の場所』や『秒速5センチメートル』にもありますし、今回の楽曲の使い方も『秒速5センチメートル』に起源を見つけられるでしょう。ふたりの閉じた関係は『ほしのこえ』に戻ったような感覚もありますし、一人暮らしのOLという点では『彼女と彼女の猫』みたいな要素もあって、「なるほどね」と思っていただける部分は多いかと。
――表現や設定だけではなく、作家的な共通性もあるように思えます。
- 新海
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「欠落」や「ギャップ」がキーになっていて、それが物語を進める役割も担っているのだろうと思います。『ほしのこえ』の場合は宇宙と地球の「距離」、『雲のむこう、約束の場所』では「現実と夢」、『秒速5センチメートル』はシンプルな「遠距離恋愛」で、これが『星を追う子ども』になると「地上と地下」や「生と死」という距離感になります。そして『言の葉の庭』では「年齢差」というギャップを現実世界に持ちこんだことで、「大人と子供」という社会性が発生したことが他作品との大きな違いかもしれません。僕の作品は「セカイ系」という言葉に絡めて「社会性が欠落している」とよく批判されましたが、その点でも一味違ったものにできたと思います。
『星を追う子ども』のおかげで国内外に多くの若い女性ファンが増えたんですが、ファンタジー表現については、世界観を突きつめられなかった反省がありました。それで現代ものをもう1回、きちんとやろうと思ったんです。とはいえ、僕に「現代ものでなくては」という気持ちはなくて、バイファム好きで分かるように、いつかまた「宇宙と人」みたいなモチーフのSF作品もつくってみたいと思っています。
――今また宇宙がブームになっていますし、いいですね。どんな作品がお好きですか?
- 新海
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映像作品なら『コンタクト』と『2001年宇宙の旅』です。最近は『逆襲のシャア』を繰り返し観ています。スラスターを吹かして何百キロと移動してしまう空間表現にクラクラするような感覚があり、宇宙空間の中を自由自在に動きまわる作品を自分もつくってみたいなと。それも違う星系、別の銀河にまで行ってしまうような極端な距離感、時空の広がりを表現するような映像にあこがれます。『タウ・ゼロ』(ポール・アンダースン作)というSF小説も好きで、星間飛行するロケットが少しずつ加速していくんですが、制御できずにどこまでも加速してしまう。船内は相対性理論で時間の進み方は極端に遅くなるので、生きている人間が宇宙の終焉まで目撃してしまうんです。
――それは映像化が大変そうですね(笑)。
- 新海
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ええ、これはむしろ規模の大きなハリウッド映画で観たいと(笑)。スケールの大きなSFはビジュアルに強度が求められるので、メインスタッフが数人のアニメの規模では難しく、別の戦略と切り口が必要ですよね。ともかく現実感覚がどんどん薄くなっていくような壮大な時空間の広がりがあるハードSF的な映像を観たいし、つくってみたいです。同時に『言の葉の庭』のように、自分の周囲の世界に特化した話も大好きです。そういう意味では、これまで畏れ多くてあまり言えませんでしたが、村上春樹の小説をいつかアニメーションにできたら、きっと面白いものにできるとも思っています。
――ミニマムからマキシマムまで、いろんな世界が楽しめる新海誠作品ということですね。
今後も楽しみです。