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UPDATE:2016.7.25

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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原点はファーストガンダムと富野由悠季監督作品
――菱田監督と言えば応援上映の『キンプリ』(『KING OF PRISM by PrettyRhythm』)が話題ですが、今日はサンライズフェスティバルで上映が予定されている初監督作品『陰陽大戦記』(04)を中心に、うかがっていきたいと思います。
菱田
2年前の10周年記念の時にも期待していたのに、連絡が来なかったんですよ(笑)。これは忘れられてしまったのかなと思っていたら、サンライズさんから「むしろ12周年がいい」と聞きまして。本編を諏訪大社の御柱祭(6年おきに樅の大木を神木とする行事)のときにつくってましたから、今年もまた御柱祭の年なんですよね。
――それでこのインタビューでは、まず業界に入る前に関心のあったアニメなどもお聞きしています。アニメを意識したのは、いつぐらいですか?
菱田
小さいころは『トムとジェリー』などを観ていたとは思いますが、やはり『機動戦士ガンダム』(79)が大きいですよね、初オンエアのときはまだ小学校低学年で見ていなかったんですが、ガンプラが出て再放送があって、という時期にハマりました。そのときはやはりモビルスーツ目的でしたが、小学校高学年から中学生になってたまたま再放送を見ていたら、「なんだこれは?普通と違うぞ」と感じて、強いトラウマを植えつけられてしまい、いまだに縛られている感じですね。
――その「違い」とはどんな部分ですか?
菱田
やはりドラマ性、それまでのアニメにはなかったような展開ですね。大学を卒業してサンライズに入社したら、似たように影響を受けた方が大勢いたので(笑)、その中の1人です。やはりシャアが印象的で、悪役の側にも正義があるし、見ようによってはジオン軍の掲げるスローガンの方が、よほど地球連邦よりも素晴らしかったりする。それにニュータイプという概念には驚きました。戦場で好きな女性に出会うという展開を、ニュータイプに託すって当時他の誰が考えられたんだろうかと。ビーム・ライフルや諸々の設定含めて、いまだにロボットアニメはガンダムから抜けきれていません。ある種の呪縛ですよね。
――やはりポイントは富野由悠季監督の発想と演出力ですか。
菱田
富野さんの最新作『Gレコ(ガンダム Gのレコンギスタ)』(14)では、自分からお願いして演出をやらせてもらいましたが、武器や戦闘のアイデアが相変わらずすごくて、いまだに日本のトップを走っていると感じられます。僕は第13話(月から来た者)を担当したんですが……。
――富野監督と相当やりあった感じですか?
菱田
やりあうも何も、一方的にガーッとダメ出しですよ(笑)。僕はサンライズに入って制作を経験した後に、『∀ガンダム』(99)の演助(演出助手)になり、富野さんといっしょに1年やらせてもらった経験があるんです。それから監督にもなったし、少しは成長できて恩返しができるかなと思って行ってみたら、もうボッコボコの返り討ちに遭ってしまい……。自分の力不足を痛感しました。
――演出家から見て、富野さんのすごいところは、どこですか。
菱田
とにかくキャラが生きていますね。今のアニメの演出には、喋るだけの人のアップがきて口パクがきて、切り返しがあって今度は引きの画、みたいな定型があるんです。でも、富野さんはそうしない。とにかくいつも誰かが何かをしている。お尻をかきながら指示するとか(笑)。『(OVERMAN)キングゲイナー』(02)で戦車に乗った2人の会話がありましたが、そのアングルだと片方は上半身を出しているから下半身しか見えないんですよ。でもイライラして、ガンガンと床を蹴りながら喋る。こういうことを思いつくのって、演出家としてすばらしいと思うんです。富野さんへの評価はいろいろありますが、演出家としては尖ってるし、すごいなと思いますね。『Gレコ』の仕事を『マリオカート』にたとえると、先頭に追いつこうと思ってがんばって走っていたのに、気がついたら周回遅れで後から来たクッパ大魔王に踏みつぶされたような感じでした(笑)。
――それは壮絶なイメージですね(笑)。
菱田
僕は2ヶ月間(Gレコの)コンテが描けなくなってしまい、それは自分の経験でも初めてのことでした。途中でギブアップして「描けません」って言ったものの、「それでも描いてこい」言われ。描かなくても怒鳴られるし、描いても怒鳴られる(笑)。『プリティーリズム』の監督を3年間やった後で、キャリア的にも自信のついてきた時期でしたが、調子に乗って慢心した自分を富野さんは完全に叩き壊してくれました。もっと精進しないと……。ただ、『Gレコ』をやっていなかったら『キンプリ』もなかったなと思っています。僕は富野さんから、ものすごく多くのことを学んでいるので。
――『キンプリ』って初見で設定もよく分からないのに、ずっと見続けられますよね。あの飽きさせず、つながっていく感じが不思議だったんですが、ひょっとして……。
菱田
そうです。あの流れていく感じが、富野さんの独特な演出だと、僕は思っているんです。富野さんの編集とカットつなぎを『∀ガンダム』のときにずっと見させてもらい、改めて『Gレコ』でおさらいできたのは、ものすごく良かったです。
――謎が解けた気がします(笑)。
菱田
なかなかそこを分かってくれる人が少ないんですけれど、実はそうなんです。
「車の運転試験」があるサンライズへ入社
――話を戻すと、アニメ業界を目指すきっかけは何だったのでしょうか。
菱田
一番大きかったのは、単位を落として大学で留年したことでしょう。一浪して経済学部に入ったんですが、銀行か証券会社は2回ブランクがあると入りづらくなるんです。それで大学4年の時は論文出せば卒業と言う感じで、就職活動もゴールデンウィーク前ぐらいにはメーカー系で内定が出て、ものすごく暇になりました。それで時間ができて「何のために仙台から東京に来たのかな。普通の会社なら仙台でも良かったかな」みたいに考え始めたところ、サンライズの入社試験が10月にあったんです。これは記念で受けてみたいと入社説明会に行ったら、「車の運転試験があります」って言われたんですよ。
――制作進行の回収で使うからですね。
菱田
面白すぎるじゃないですか、タクシーとかそういう業種でもないのに車の運転試験のある会社って。それで受けに行ったら、通ってしまいました。バブルがはじけた96年ぐらいで、円高で1ドル90円切ったりして、これからメーカー系はヤバイというのが明らかだったんですね。卒業論文のテーマがアメリカ経済で、冷戦が終わって日本にお金を注ぎ込む必要がなくなりつつある時代、なんてことも書いていたので、為替に左右されるような仕事に疑問をもっていました。当時、アニメはもてはやされててゲーム業界も下降気味だったので、「アニメって面白いんじゃないか。仕事としては残るはずだ」と。そんな勘違いで入ってしまったんですよ。
――結果的にそうなったじゃないですか。
菱田
いやいや、入社して3日目で辞めようかと思ったくらいで。厚生年金も社会保険も退職金もないし、会社を辞めなければ監督や演出になれないというのもよく知らなくて。今ならネットで調べればすぐ分かると思うんですが、「とんでもない選択をしてしまったぞ」と。そこからは、普通の会社に入った自分との追いかけっこです。『マリオカート』で最速タイムをたたき出すと半透明のゴーストが出ますが、あれが「普通の会社に入った自分」で、ビューンとロケットスタートで僕を置いてきぼりにしていく。そこに追いつけるよう、早く演出になるためにはどうしたらいいかと先輩たちから聞いて、進行やりながらコンテを描いて監督に出したりして、自分に負けないようがんばりました。
――進行時代は、どの作品から始まったのでしょうか。
菱田
6スタ(第6スタジオ)に入り、作品は井内秀治監督の『超ワタル(超魔神英雄伝ワタル)』(97)ですね。コンテは井内さんや、僕の師匠にあたる『ケロロ軍曹』の監督の近藤信宏さん(第104話以後)に見てもらいました。描き溜めたコンテを1年後ぐらいに富野さんに持っていったら、「じゃあ、うちのスタジオに来て」と引き上げてくれて、演出助手になれたんです。当時のサンライズは演出になるのが順番待ちで、ヘタすると5年やっても演助にはなれない感じだったので、2年のブランクがある僕は30歳を超えてしまうぞ、みたいな焦りもあって、一生懸命やりました。
――コンテの描き方というか、もともと映画の演出には興味があったんですか。
菱田
いえいえ、そういう世界に生きていなかったので、まるで知らなかったです。ガンプラも誰もがやる程度ですし、中学校に入ったらファミコンの世代ですから。アニメは宮崎駿さんの映画をたまに見るぐらいで。
――『風の谷のナウシカ』(84)の絵コンテは文庫になってますよね。
菱田
いえ、絵コンテというものは、業界に入ってから初めて見ましたので。
――それってこの連載の中でも、かなり珍しいですよ(笑)。
菱田
バカですよね。現場で見よう見まねで描いてみて、「こうやったら良くないよ」というのをいろんな方に教えてもらうんですけど、映画の知識がまるでないから、人によっては「そんなことも分からないのに演出目指してるのか!」みたいにボロクソに怒るわけですよ。それで悔しくて本を買って読んで、「何を言われたんだろう」って勉強したりして……。他にもいませんか? そういう人。
――正直、初めてに近いかなと。でも、それでモノになるってことは、逆にすごいんだと思いますよ。周回遅れでも何でもなく、追いつけたのは才能があるということかと。
菱田
たしかにそんな風に「追いつけた!」って思った瞬間があったんですよ。少しは先行できたかなって。でもそんな時に、後ろからやってきたクッパ大魔王の富野さんに踏んづけられて、ぺったんこになって今に至ると(笑)。「これはイチから出直しだ」って思いました。
多くのノウハウを吸収できた富野由悠季監督の現場
――『∀ガンダム』の現場は良かったんじゃないですか。最後のほうのセル画作品で、セルを知ってるのと知らないのとでは全然違うと思いますし。
菱田
ただ、あの時の演助は芝居がどうこうではなく、素材を見てカメラで撮影できるかどうか判断するという技術的な仕事が中心でした。デジタルの現在は、そこを知らなくても大丈夫ですからね。『∀ガンダム』の現場では、本当にありとあらゆることを学ばせてもらいました。富野さんのコンテチェックが独特で、1本目は第5話(ディアナ降臨)のコンテを描かせてもらったんですが、1コマだけ、僕の拙い絵が残って戻ってきたんです。1コマ残す方が、セロテープで貼ったりなんだりで逆に手間かかるのに。むしろ描きなおせば一瞬で終わる。わざとそういうことやるんですよね。
――それは、発奮させようと思って?
菱田
そうだと思います。2本目の第10話(墓参り)では1ページか2ページぐらい残ってて、その次の第18話(キエルとディアナ)になると、まるまる1シーン残ったんです。わざとじゃないのかなと。
――それは絶対、わざとですよ(笑)。
菱田
使わなかった分には「こういうのはダメだ」とか「これはいい」とか、全部みっちり赤字を入れて戻してくれたんですね。いまだに取ってあります。怖くて見られないけど、慢心してるなと思ったときは、表紙だけ見るようにしています(笑)。業界に入って2年しか経っていない新人のコンテだから、ホントにひどいんですけど、よく付きあってくれたなって。だからそのときの恩返しがしたくて『Gレコ』に飛びこんだんですけど、返り討ちもいいところで(笑)。
――では、『』で大きくステップアップした感じですか。
菱田
そうですね。その後は1年ぐらい『犬夜叉』(00)をお手伝いして、すぐフリーになって井内監督の『激闘! クラッシュギアTURBO』(01)の演出で、そこからはメインでやらせてもらうようになりましたね。『』で基礎を作ってもらい、『クラッシュギアTURBO』で飛躍できたことで、『陰陽大戦記』のチャンスをつかめたんだと思います。
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