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UPDATE:2014.11.25

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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原点となったアニメ体験の思い出を交えつつ、クリエイターが自身と自作を振り返るインタビュー。今回は『獣兵衛忍風帖』『バンパイアハンターD』で世界的に評価されているベテラン川尻善昭監督の登場です。
虫プロダクション出身のアニメーターとしても著名で、『妖獣都市』以後ハードボイルドで大人のムードたっぷりの娯楽アクション作を提示。幅広い観客層に通じるエンターテインメント性で、海外では日本を代表するクリエイターとして認知されています。さらに近年では『カイジ』や『ちはやふる』など、やはり一般的な娯楽性の高い作品に絵コンテで参加。
その幅広い娯楽性の原点とは、どういう体験から生まれたのでしょうか。そしてその作風は、どんな方法論に支えられているのでしょうか? 世界的クリエイターの姿勢とワザを、今月もじっくり浮き彫りにしていきましょう!
大衆娯楽志向の原体験は少年期から
――この連載ではクリエイターに、原体験になったアニメをうかがっているのですが、川尻監督の場合はTVアニメ以前ですよね。どういったものが原点になるのでしょうか。
川尻
家が理髪店だったものですから、町内でもいち早くTVを店に入れていて、人が大勢集まって見にくるような環境で育ちました。日本でTV放送が始まってすぐの時期は毎日のようにアメリカの西部劇を放映していたので、それを熱心に観ていましたね。それと時代劇は母親が大川橋蔵の大ファンで、映画館で東映作品をよく観てました。ただ当時の時代劇は日本的でベタな演出でしたが、西部劇の方は会話ひとつとってもスタイリッシュで、演出のタッチが日本とはまるで違う。なので、西部劇の方が好きでした。
――なるほど、その辺が川尻作品の原点というわけですね。
川尻
『バンパイアハンターD』(00)のときに、改めてそうした影響を実感したんです。原作者の菊地秀行さんも同世代ですから、「ああ、これはきっと同じような作品を観てきたんだな」と。
――当時で印象に残っている西部劇のタイトルは?
川尻
アフレコを生放送でやっているくらい早い時期なので、同年代の仲間うちでも通じにくいほど古いのばかりなんですよ(笑)。『アウトロー』(日本放映61)、『スミスという男』(61)、『胸に輝く銀の星』(61)……有名なものではスティーブ・マックィーンの『拳銃無宿』(59)かな。30分のTVシリーズとして、毎日たくさん放映されてました。
――日本の時代劇も、やがて変わっていきますよね。
川尻
そうですね。いわゆる「チャンバラ映画」ではなく、黒澤明作品のような本格時代劇作品も出てきましたし、映画業界が斜陽化していく中で、たとえば工藤栄一監督の『十三人の刺客』(63)のような映画も出てきて、時代劇が大好きになっていきました。
――黒澤明監督の時代劇がマカロニウェスタンに影響をあたえた事例もありますから、川尻監督の作品が海外で人気を得た秘密がなんとなく見えた気がします。
川尻
海外ではよほどの映画マニアでない限り、黒澤明監督の時代劇ぐらいしか知らないんです。だから、おそらく僕の時代劇もまったく未知の世界に見えるんでしょうね。時代劇と西部劇で育った僕としては差を感じてないんですが。
――理髪店で育ったのなら、漫画雑誌も早い時期から読まれていたのでは?
川尻
もちろんです。「少年サンデー」、「少年マガジン」、「少年キング」などお客さん用に置いてあった少年週刊誌は創刊号から読んでいます。貸本では戦記漫画を読みあさりましたし、月刊漫画誌は種類が多くて全部買えなかったけど、「冒険王」や「おもしろブック(後の「少年ブック」)などを選び、川崎のぼるさんの初期の西部劇漫画で『黒い荒野』などをすごく面白く読みました。関谷ひさしさんの西部劇も良かったですね。手塚治虫さん、横山光輝さん、石ノ森章太郎さんなど漫画の模写もずいぶんやったし、コマを割った漫画も中学生ぐらいまで同級生のために描いてましたね。「続きはいつですか?」なんて言われたりして(笑)。
――肉筆回覧誌ですね(笑)。
川尻
ただ僕は団塊の世代ですから、受験の競争率がすごくて。中学の終わりぐらいになると、漫画を描いていた友だちがいっせいにマンガを卒業してしまって、それで一時期は離れてしまいました。「絵を仕事にしたい」と再び思い始めたのは高校2年ぐらいからです。ただ、どこの門を叩けばいいのか、まったく情報がなくて。
――出崎統さんのように、貸本漫画でデビューは考えなかったのでしょうか?
川尻
出版社へ持ちこんだりはしてないです。コンテストに応募したことはありますが、まったく引っかからず(笑)。それでも高校卒業後はすぐ自立したいと思っていたので、最初はグラフィックデザインに憧れていました。デザインならすぐに食っていけるだろうと(笑)。ところがデザイン会社の面接では「君は漫画のほうが向いてるよ」なんて言われてしまって(笑)。それでご縁があって実家が近かった北野英明さん(アニメーター、後に漫画家)を紹介していただき、虫プロダクションでアニメーターになったんです。僕としては漫画家になるためのステップとしてアニメ業界に入った感じもあり、絵を描いてお給料もらえるならいいかなぐらいの気持ちでしたから、アニメーションの知識もほとんどありませんでした。
虫プロに入社し、動かす絵の面白さに目覚める
――虫プロへ入社する時は、試験を受けられたのでしょうか?
川尻
北野さんのところに漫画やイラストを持っていったら、「明日からすぐ来い」と言われたので、それで動画として入ったんです。
――即採用ということですね。すばらしいです。
川尻
とは言え新人ですから、最初は作画用紙のタップ穴空けからですよ。当時はレイアウト専用の用紙もないので、フレームを描いたりとか。
――最初に手がけられた作品は?
川尻
どろろ』(69)です。北野英明さんが作画監督で、手塚先生よりさらにシャープな劇画タッチのキャラにしてて、ものすごくカッコよかったです。同時期にスタジオゼロ、東映と共同制作(元請けは石森プロ)していた『佐武と市捕物控』(68)も村野(守美)さんのデザインで、杉野(昭夫)さんのきれいな作画、りんたろうさんのスタイリッシュな演出も相まって、すばらしかったです。ちょうど僕が入ったタイミングが、「アニメーションも面白くなってきているな」と変化を肌で感じられる時期なんですね。
――それも縁を感じますね。TVドラマでも新しい時代劇が出ていましたし、アニメにトレスマシンが使われ始め、表現の革新が随所で拡がる時期です。
川尻
入社以前にアニメーションでビビっと来たのは、中学生のときに観た『ジャングル大帝』(65)のオープニングでした。特に勝井(千賀雄)さんによるフラミンゴが乱舞するシーンは圧巻でした。そして『どろろ』と『佐武と市捕物控』にも、アニメーションの大きな可能性を感じたんです。
――原画マンになられたのは、割とすぐでしたか?
川尻
いえ、動画を2年半ほどやってからになります。原画マンになるには試験がありましたが、当時は人数も多かったし年功序列もあるわけで、『あしたのジョー』までずっと動画をやっていました。その後で出崎さんと杉野さんの推薦があり、原画として席をおかせてもらうことになります。当時は1話あたり原画マン3人体制ですから、ひとり先輩の方がいて、残り2人が新人。その2人が僕と安彦良和さんでした。
――安彦さんにも以前取材で、虫プロ時代に川尻さんと席を並べていたとうかがったことがあります。ものすごく刺激を受けたそうで。
川尻
いやいや、僕の方はむしろものすごいプレッシャーでしたよ(笑)。安彦さんは他の作品でキャラクターデザインや作監をやられてから、改めて原画マンの試験を受けてるわけですから。原画も下書きなしでスイスイと描いてしまう。こっちは手が真っ黒になるまで描いてやっとなのに……。
――安彦さんは、川尻さんが原画を粘って楽しみながら描いていたのを見て、アニメーションとして動かすことに刺激を受けたと語ってました。
川尻
単に苦労していただけですよ(笑)。ああいう風に一発で描けたらね、粘る必要はないわけですから。
――なるほど、お互い自分にないものを求めてたみたいな感じで(笑)。
川尻
そういうことです(笑)。とにかく僕には「絵を動かしたい」という気持ちが強かったですからね。動かしてみることで初めて描ける絵があるってのが、新鮮な発見だったんですよ。そのあたり、監督のりんたろうさんも面白がってくれて、もっとやれるだろうというリテイクも出されていたんだと思います。とにかく一生懸命やってましたから、多少勝手なことをやっても許してもらえましたし、面白かったですね。
独自の世界観を打ち出した『迷宮物語 走る男』
――アニメーター時代の話ももっと聞きたいのですが、監督作品に移りたいと思います。デビュー作としては『迷宮物語 走る男』(87)になるのでしょうか(編注:諸事情で公開は『妖獣都市』が先)。
川尻
実は『(SF新世紀)レンズマン』(84)でも「監督」として出ていますが、僕としては“現場監督”という意識でしたから。
――『走る男』はどういった経緯で監督になられたのでしょうか?
川尻
3本のオムニバス作品で、当初2話目は押井守さんが監督を務める予定でした。それが参加できなくなり、プロデューサーの丸山正雄さんとりん(たろう)さんが僕を代わりに推薦してくれて、それで急遽参加することになったんです。僕としてはそれまで「監督」に魅力を感じたことはなくて、「絵を描きたい、動かしたい」という想いの方が強かったですね。
――『走る男』は絵がよく動いていて、映像的にもリッチな印象があります。
川尻
「(作画枚数を)好きなだけ使っていい」と言われていて、そこは良かったです。僕が関わった作品の中で予算に「ゆとり」があったのは、これ1本だけですね(笑)。
――レースものをテーマに選んだのは?
川尻
実は眉村さんの短編から原作になる話を探してはみたものの、「これならできる」という作品がなかなか見つからなくて、一度ギブアップしたんです。そしたら「原作にとらわれず、好きにしていい」と言われたので、オリジナルでショート・ショートという枠組みを考えつつ、絵的に迫力が出るものならカーレースものかなと。それでプロットを短時間で一気に書きあげて見せたら「これで行こう」となったので、やや戸惑いながらつくることになりました。
――ビジュアル的なイメージソースは、何かあったのでしょうか?
川尻
御覧になればわかるとおり、当時衝撃的だった『ブレードランナー』(82)の影響が多分にあります(笑)。透過光を多用しているのは、ウォルター・ヒル監督の『ザ・ドライバー』(78年)のカーチェイス・シーンの影響ですね。現場になったストリートに暗幕をかけ、空をブラックに変えた撮影で、光がものすごくきれいに見えたんです。そんな作品のイメージをとりいれつつ、スピード感と緊張感を出したいなと。
――シャープな光を強調する演出は、後に続く作品群の原点にも感じられます。
川尻
“デスレース”のアイデアは子供の頃に見たサーカスで球体になった檻の中をバイクがグルグル回る見世物をスケールアップして考えたものです。第1話がりんたろうさん、第3話が大友克洋さんと強い個性に挟まれた状況でしたから、ほぼ無名の自分はどうやって対抗すればいいのかと。それでフランスのバンド・デシネ(大人向けコミックの形式)のように、重めのタッチとダークなイメージを取り入れて、あのビジュアルに仕立てています。ただ『走る男』は編集から音響作業まで、ほとんどりんさんに頼りっぱなしだったので、監督として自分の手で作品をすべて作りあげた実感が持てるのは、やはり『妖獣都市』からになりますね。
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 インターナショナルバージョン
 2015年1月1日正午より配信開始


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