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UPDATE:2015.4.25

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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特撮の絵コンテを描いた少年時代
――子ども時代は、アニメや特撮をよくご覧になられていた方ですか?
赤根
アニメよりもどちらかと言えば特撮系で。『ジャイアントロボ』や『マグマ大使』をよく見ていて、特に『仮面の忍者 赤影』が大好きでした。もちろん『ウルトラマン』も好きでしたけど、僕はむしろ怪獣で、小学校低学年までは「怪獣デザイナー」になりたいと思っていたほどです。
――つくりものだと分かりながら楽しんでいた方ですね。
赤根
『スター・ウォーズ』よりだいぶ以前ですから、むしろ日本の特撮もののほうが、異世界や架空世界のリアリティを表現できると思っていました。ひとりで空想、妄想するのが大好きでしたし、現実にはない世界に入りこむこと自体が面白くて。その点でアニメだと「絵に描いたもの」という部分に、やや入りづらい気がして。
――特撮もメイキングに興味があった感じですか?
赤根
円谷英二特技監督の名前は知っていたし、絵コンテという存在を知らないうちから「映画ってこう撮るのかな」と「ゴジラ、街に現れる」「踏みつぶす」なんてシチュエーションをマンガのような絵で描いてました。それは楽しかったですね。
――マンガは描かなかったんですか?
赤根
そんなに絵が上手くなくて、小学校高学年ぐらいで挫折しました。石森(石ノ森)章太郎の漫画の描き方(『少年のためのマンガ家入門』)は、読んだことがありますが。
――それがアニメに興味を持ったきっかけは?
赤根
僕らの世代はみんなそうだと思いますが、やはり『宇宙戦艦ヤマト』(74)です。ただ、「これを実写で撮ったらどうなるかな?」と思ってた方で。『ヤマト』がきっかけで、もう一回いろんなアニメを観ようと決意したものの、1979年ぐらいは粗製濫造っぽくて(笑)。そんな時に友だちから「『ガンダム』観てみたら?」と誘われて、それで観てみたらガルマが死ぬ話(第10話)で、富野さんの演出に圧倒されました。「なんなんだ、このリアリティは」と。絵で描いたものなのに、ものすごく説得力がある。『ヤマト』と違ったのは「これはアニメだからこそ感じさせられる存在感なんだ」という点です。そこで初めて「これは実写よりも面白いぞ」と思ったんです。
――価値の大転換はガンダムだったんですね。
赤根
大学生のときはビデオで過去のアニメをいろいろ掘り起こし、『(アルプスの少女)ハイジ』を観て驚いたりしてました。人間の成長ドラマに、やはり引き込まれる存在感、リアリティがある。それで高畑(勲)さんや宮崎(駿)さんの名前を知り、『(太陽の王子)ホルスの大冒険』(68)までさかのぼっていったりしました。
ベンチャーな空気を求めてサンライズへ入社
――アニメには、どんな可能性を感じられたのでしょうか?
赤根
アニメなら世界に打って出られるだろうと思ってました。映像好きな青年たちにとってスピルバーグやルーカスがシンボルでしたし、日本の保守的な映画界よりもベンチャーな臭いを感じるアニメの方が「いけるんじゃないか」って。大学(千葉工業大学)は建築学科でしたが、就職のときに見学させてもらってサンライズという会社に興味をもったんです。富野由悠季監督のTVシリーズが毎年続いてた時期で、『(戦闘メカ)ザブングル』から『(聖戦士)ダンバイン』、『(重戦機)エルガイム』と……。
――毎年毎年オリジナルでしたね。
赤根
だから、自分にとってはベンチャーなんです。SONYやホンダのように権威のない第2グループ的なところから出て、大きくなりそうな気がした。将来的に一風変わったもにもチャレンジできて、きっと新しいものもつくれそうだと。
――それまで学生時代にアニメをつくった経験は?
赤根
アマチュア経験は少しだけです。今は東映にいる角銅(博之)さんの自主短編ホラーフィルムを観て感心すると同時に、「これは自分ひとりだと難しいぞ」と感じたんです。そんな時にディレクターがストーリーや絵コンテを組み立てた上で、うまいアニメーターたちといっしょにやる選択肢もあると分かってきました。自分で絵が描けない監督だからこそ、逆にいろんなことも要求できる。むしろ「こんな感じで」と刺激するところから新しい画づくりも可能だろうと。それって実はアマチュア時代に試してみたんですけど、そんな画力がある人が身近にいるわけもなく(笑)。
――それはそうですね(笑)。振っても応えられなかったと。
赤根
ならば、もう一刻も早くプロになりたいと(笑)。建築学科では石膏デッサンしたりパースをとったりするから、自分も絵の教育は受けているんです。でもアニメーターってモデルも何もないのに、絵の中にすっと入って描ける。当時、安彦(良和)さんのイラストを雑誌で見て衝撃を受けましたし、これはものすごい画力の人たちが日本中から集まってる世界なんだと。ぜひプロの世界の表現力を見てみたい、その業界に早く入りたいと思ったわけです。
――入社は試験ですか?
赤根
面接重視でしたね。4つぐらいの各スタジオからプロデューサー、デスクたちがズラリと並ぶ。クリエイターは高橋良輔監督だけいました。大手の面接にはサラリーマン的な印象がありましたが、サンライズはどこか威勢がよく、ギラギラした感じが見える。やはりベンチャーなんです。だから「どんなアニメが好き?」と聞かれても、「こりゃ『ガンダム』とか言ったら終わりだな」と(笑)。
――作戦を練ったんですね。それでどう答えたんですか?
赤根
忘れちゃった(笑)。当時は『うる星やつら』が大ヒットした直後で、美少女アニメが流行し始めていました。どうやら受けに来る子はその辺を連呼するらしい。ならばこれも絶対言っちゃいけないぞと(笑)。良輔さんから「赤根くんって男っぽいものが好きなんだね」と言われた記憶があるから、『あしたのジョー』と答えたようですね。
――こう来たらこう返すみたいな、先を読んでいる様子が目に浮かびます。
赤根
演出って、結局一種の心理ゲームですから。お客さんがこの画を見たらどう感じるか。次はどういう具合に感情を誘導しようか。それがいわゆる「演出テクニック」なんですね。もともとひとり遊びの妄想好きだから、「相手が何を考えているか」をずっと読んでました。アニメ業界は大企業じゃないし、マニュアル通りじゃない変なやつをとってくれるだろう。と言って、ツボは外しちゃダメだよなとか(笑)。
富野監督の作業を見て学んだ演出の技
――それで入社時は『機動戦士Zガンダム』の制作進行からでしょうか?
赤根
これがビックリなんです。すでにオンエアが始まってた作品ですからね(笑)。第4話の次の週ぐらいに呼ばれ、「明日からZガンダム班に行ってください」「えっ!? いまオンエアしてるのに、まだできてないの!?」みたいな(笑)。現場に行ったら第8話の追い込みで、「これって3週後ですよね?」(笑)。
――だいぶ切迫していましたね(笑)。
赤根
そんな最前線にいきなり送りこまれ、憧れの富野さんを見たら、ものすごくエキサイトしながら演出を叱ってるんで、またビックリ(笑)。でも、それがいい勉強になりました。「なるほど、演出はこういう見方なのか」「絵コンテはこういう部分を注意するんだ」みたいに。僕は監督に直接ついた経験はあまりない方ですが、そのときの体験が自分の中では教科書になってます。ラッシュフィルムのカッティング(編集)も当時は制作部屋でやっていたので、手が空いたら富野さんが何をやるか、ずっと観察してました。
――富野監督で印象的だったことはありますか?
赤根
富野さんはアニメ的な技法を嫌っていて、「普通こうする」というコンテを持っていくと、「違う! なぜこうする!?」と、よく怒っていました。それは「考えろ!」ということなんですよね。
――それは先ほどの「先を読まれちゃおしまいだ」みたいなことに通じますね。
赤根
そうかもしれません。富野さんも観る側の心理を読んで組み立てていくのが好きな演出家ですから、面白かったです。もっとも直についたら、ボロクソに言われていたはずで(笑)。『(機動戦士)Zガンダム』、『(機動戦士)ZZガンダム』、『(機動戦士ガンダム)逆襲のシャア』と、続けてちょっと距離をおいて見せてもらい、今でも迷ったら「そういや、こんなこと言ってたな」と。
――制作の仕事自体はどうでしたか?
赤根
毎日が文化祭前日のような忙しさ、まさにお祭り騒ぎで(笑)。グチャグチャになって動き回るのも好きだから、楽しかったです。とは言え、この業界は辛いことを覚えていると辞めたくなるので、楽しかったことだけを覚えとくのが長くやるコツです(笑)。
――最初の達成感みたいなのは?
赤根
初めて2~3ヶ月後、エンディングクレジットに自分の名前が載ったときに「へー!」という感じがありました。自分よりむしろ友だちが「名前出てたよ!」と言ってくれたのが嬉しかったです。
制作進行から演出家へ至る道
――そこから演出家に転向されたのは、いつぐらいですか?
赤根
3年半ぐらいだったと思います。当初から「最終的には演出志望」と言い続けてました。「サンライズは制作しかとらない」とも言われたし、演助(演出助手)からゆっくり育ててくれる環境もないんですが、プロデューサーが道を拓いてくれることで、制作から演出になれることはあって、チャンスが巡ってきました。
――その担当一本目は?
赤根
鎧伝サムライトルーパー』(88)です。監督が池田(成)さんから浜津(守)さんに変わったとき演出が一人足りなくなり、池田さんにも前に試しに出したコンテで「赤根くんなら大丈夫」と言ってもらえて、2クール目から演出になれました。ただし設定制作の仕事もかけ持ちです。そこは当時のサンライズは厳しかったですね。
――実際やられてみて、いかがでしたか?
赤根
絵コンテを描くのがまず面白かった。アニメーターさんに作打ち(作画打ち合わせ)で自分の意図や目的を説明しながら、具体的に絵にしてもらうのがまた面白い。違うと思ったら「描き直してください」ということもあったし、当時のアニメーターさんたちは自分と同年代ばかりだったので、頼みやすかったのも良かったですね。「ここはどんな風にやろうか」と、お互い議論しながら進めていけました。
――最初から意思疎通がよかったんですね。
赤根
総作監(作画監督チーフ)は大ベテランの塩山紀生さんで、昔の話をしてくれて面白かったです。僕は池田さんのコンテが大好きで、ものすごく繊細な部分が感じられるんです。その繊細さによって『サムライトルーパー』や『新機動戦記ガンダムW』(95)は女性人気が出たわけですが、意外と本人は気がついてないかも(笑)。「少年の心って、こういうふうにピックアップして見せるのか」みたいな点で影響を受けています。だから、僕の心の中では師匠なんです。
――他に演出時代に影響を受けた方は?
赤根
観る側としては出崎(統)さんの映像美にハマってました。『あしたのジョー』や『劇場版 エースをねらえ!』など、これぞアニメならではの画面づくりだと。特に『あしたのジョー』の1作目には草創期特有の荒々しい無法さみたいなものが満載で、大好きなんです。『サムライトルーパー』でも実験的な画づくりをやってますが、予算が少ないから、知恵を絞るしかないわけで(笑)。「ここはデルマ(クレヨン的な画材)で荒々しく描いてみるか」とか、撮影処理でも木工用ボンドをセルに流しこんでカラーインクで色つけたりとか。「ここ変な波ガラス(セルの上に置いて歪みを出すガラス)入ってるんだけど」なんて撮影さんによく怒られてました(笑)。いろいろ試せて面白かったです。
――素材を実験しながら撮れるのは、デジタルと少し違うところですよね。
赤根
フィルムの場合、カメラのファインダーで確認しても、そのとおりになるとは限らないんです。それにネガで撮ってプリントして映写機にかけるまで、1~2日のタイムラグもある、余計に想像力が必要になるんです。この素材とこの素材でこう撮った場合、どんな画に仕上がるか、想像力で予測するということは鍛えられましたね。今のデジタル撮影は具体的なものを比べるだけになってしまう。アナログでは、いかに自分のイメージを他人に伝えられるか、そこが勝負ですから。
――アナログにはギャンブル的ところもあるし、妄想の話にも通じてます。
赤根
そうそう、まさに妄想ですよ(笑)。自分の妄想をいかに具体的な画にしていくのか、それが楽しかったですね。もちろん「あれ?」ということも多かったですが、TVシリーズは「トライアル・アンド・エラー」。失敗したらまた次の回で試せるので、それも良かったです。若いときにシリーズでいろいろやれたのは良い経験でした。
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