バンダイチャンネル

クリエイターズ・セレクション

UPDATE:2015.11.27

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

  • ツイートする
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


漫画、テレビと映画にひたった少年時代
――元永監督の作品ジャンルは実に幅広いですが、子ども時代にはどんな映像を体験しましたか?
元永
福岡の筑豊地方、炭鉱があった近くの山中で育ちました。かなりの田舎なので娯楽といえばテレビぐらいでしたが、祖父が大のテレビ好きで、時代劇から刑事ドラマ、野球、アニメまで、放送されているものは片っ端からいっしょに横で観ていました。
――家族からは「テレビばかり観るな」など反対は?
元永
まったくなかったです。父親と兄が漫画好きで、その影響もあります。いろんな漫画を買ってきては、兄弟で互いに読み合いっこして。大量の漫画が家に積まれていくので、友だちが漫画を読むために集まってくるという(笑)。
――テレビアニメはいかがでしたか?
元永
熱心に観ていたのは虫プロの『どろろ』(69)、東映動画(現:東映アニメーション)の『サイボーグ009』(68)で、どちらもまだモノクロでした。特撮も大好きで、『マグマ大使』(66)や『ウルトラマン』(66)も観ていて、特撮もアニメも分け隔てなく観てました。学校から帰って午後4時からドラマや時代劇の再放送があり、夕方5時ぐらいからはアニメ・特撮で、さらにがんばって夜9時の大人なドラマまで観る。それが当時の習慣でした。「いい加減に寝ろ!」と、最後は怒られましたけど(笑)。
――まるで英才教育的に、いろんな娯楽作品に触れていたわけですね。つくり手を意識されたのはいつごろですか?
元永
中学のころ、たまたまテレビで『ローマの休日』(53)を観て、ものすごい衝撃を受けたんです。映画であんなに感動したのは初めてで、「自分もこういうのをつくりたい」と思いました。同時期には親父が8ミリカメラを買ってきて、「撮り方分からないから、お前が撮れ!」と渡されてしまい(笑)。家族旅行に行くと僕がカメラマン役なので、まるで映っていないんですよ(笑)。
――子どもを撮るために買ったはずなのに(笑)。
元永
でも、今考えるとレイアウトやフレームはそのころから意識していたことになります。それと特撮好きの兄が「俺も撮りたい」と言い出して。田舎で情報がなかったので「とりあえず爆発させよう」と、プラモに火をつけたり爆竹を使ったり、いろんなことを試しました。ともかく中学、高校時代は映画を撮ることに夢中で。
――撮った後は編集もされましたか?
元永
いや、編集機材はあるものの、どうつなげたらいいかはまったく分からずで。「失敗したのは要らない」と切り飛ばす程度で、かなりいい加減でした。絵コンテを読んだりもしたはずですが、サッパリ意味が分からず、撮り方もデタラメでした。それだけに、うまく撮れたときの喜びは格別でしたね。山のテッペンで戦艦の模型を手が見えないよう回して撮影したら、ものすごくリアルに見えたりして、大喜びでした。
――その辺からものづくりの喜びを覚えられたとか?
元永
高校のころになると角川映画が好きになったので、ああいったハードボイルド系をやってみたいなと。でも弾着や血糊とかまったく分からないため、とりあえず爆竹を体に貼りつけて、大失敗でヤケドするみたいな調子で(笑)。
――角川映画には「映画が変わる」という感覚を抱かれましたか?
元永
特に衝撃的だったのは『野性の証明』(78)ですね。後半はオリジナル展開で原作とまったく違う。「これもアリなんだ!」と、映画館でものすごく興奮しました。映画を浴びるように観るようになりましたね。映画館はもちろん、テレビも深夜にちょっとエッチでグロいB級映画がたくさん放送されていて。ひとりでニヤニヤしながら観ていました。もはやタイトルは覚えていませんが、トンデモ映画ばかり好んで観ていた気も。
――今だと「映画秘宝」が取りあげるような?
元永
そうそう(笑)。自分には「キネマ旬報」っぽい芸術的で格調高い映画は合わず。娯楽性の強い「観て楽しけりゃいいじゃん!」という映画ばっかり観てましたね。
専門学校で、ものづくりの楽しさを深く経験
――そんな状況からプロの映像業界へは、どういうルートで進まれたのでしょうか。
元永
情報が乏しく、具体的にどうすればいいかさっぱり分からなかったんですが、日活に入ってロマンポルノを撮りたいという気持ちが強かったんですね。いろんな監督が挑戦的な映画を撮ってて、ものすごく憧れたんです。でも田舎ですから、「ポルノ」というだけで犯罪者っぽく見られてしまって、親からも猛反対された結果、高校卒業と同時期に、開講したばかりの九州デザイナー学院に入学しました。東京デザイナー学院の系列校ですからアニメーション科もあって、アニメブームの勢いもあってアニメも好きでしたから。
――専門学校時代はいかがでしたか?
元永
山崎徳次郎さんという赤木圭一郎の日活映画で企画や監督、製作をされていた方の授業が、ものすごく楽しかったですね。それと2年生のときに前原薫先生がいらして、その方の影響は多分にあって、僕の恩師だと思っています。実は僕と1歳しか違わないんですが、かなりの特撮マニアでして、アニメの授業なのにガレージキットを作ったり、昔の特撮映画で『宇宙大戦争』(59)や『海底軍艦』(63)などをかけて「こういうふうに撮ってんだ、すごいだろ!」と自慢するような先生で……。
――それは自由で、楽しそうですね。
元永
先生は常に「発想の仕方を学んでほしい」とおっしゃってて、かなり刺激になりました。どうも今も現役で教えられているようで、当時とお変わりなく授業されているという噂を耳にしたときは、ちょっと嬉しかったです(笑)。
――卒業制作はどんな作品でしたか?
元永
共同で影絵のアニメーションを。原案は友人で、僕はコンテ・演出・撮影の3役です。昔話風の残酷なストーリーで、鬼と友だちになりたいウサギが、鬼といちばん仲の良かった動物を嫉妬のあまり殺してしまう。そんなショッキングな題材を、ああだこうだとやりながら、一本つくりあげました。
――本格的な演出はそれが最初ですか?
元永
今にして思うと、とても演出と言えたもんじゃないです。でも、仲間と泊まりこんで撮影したり、音を付けたり、みんなでワイワイつくるのが楽しくて。完成して上映を観たときの感動も強烈で、今でもそれがクセになっているんでしょう。
――卒業後の進路は、どうされたのでしょう。
元永
求人募集でトランスアーツという会社を見つけ、電話してみたら即採用になりました。実は作画で入りたかったんですが、「制作進行ならすぐに入れるよ」と言われたので、そのまますぐ入社しました。
――入られて、実際いかがでしたか?
元永
今成(英司)さんという方から、アニメづくりのイロハを教わりました。僕のプロの恩師にあたる方です。ものすごく恐い方で、ヘマすると怒鳴られることも多かったですが、作品に対してとにかく真摯で、ものすごく勉強になりました。当時よく言われたのは「どんなときでもお前は笑っていろ」と。つまり現場が暗くなってしまうと、それがフィルムに反映されてしまう。だから、お前だけはいつでも楽しげな雰囲気を出しとけと。
――なるほど。その雰囲気は元永監督の作品全体に漂っている気がします。
元永
やっぱり楽しくないとイヤなんですよね。アニメ制作は過酷なスケジュールで現場はピリピリしがちですが、なるべく笑顔でいたいなと。
――当時のアニメの現場は、どんな雰囲気でしたか?
元永
みなさん想像以上にプロフェッショナルで、まず自分の甘さを思い知らされました。それで最初は落ち込むことも多かったけど、ある日、突然楽しくなってきたんです。トランスアーツはもともと撮影会社だったので、カメラマンから「こうすると、こんなのが撮れるんだ」などと学ぶことも多くて。制作の仕事も、「僕がこう動くことでこういう風に流れて、結果がきれいにアガる」というのが分かってきてから面白くなりました。
――ちなみに、いちばん最初に関わったタイトルは?
元永
ノンクレジットですが、『はーいステップジュン』(85)で進行助手を2本ほど担当しています。それから筐体ゲーム用のアニメーションを手伝ったりした後に『宇宙船サジタリウス』(86)で演出助手を担当し、そこから本格的に演出家として関わり始めた感じです。
  |  |  | 次へ
元永慶太郎 関連作品

うたわれるもの
偽りの仮面
毎週土曜0時に最新話を更新

▶視聴はこちら

デート・ア・ライブII
▶視聴はこちら

ゆめりあ
▶視聴はこちら

デート・ア・ライブ
▶視聴はこちら

銀河機攻隊
マジェスティックプリンス
▶視聴はこちら

真剣で私に恋しなさい!!

▶視聴はこちら

ヨルムンガンド PERFECT ORDER

▶視聴はこちら

ヨルムンガンド

▶視聴はこちら

ルパン三世 
ロシアより愛をこめて
▶視聴はこちら

ルパン三世 
ナポレオンの辞書を奪え
▶視聴はこちら

刀語
▶視聴はこちら

お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!
▶視聴はこちら

School Days
▶視聴はこちら

Phantom -PHANTOM THE ANIMATION-

▶視聴はこちら

キカイダー01 THE ANIMATION
▶視聴はこちら

Ninja者

▶視聴はこちら

タユタマ -Kiss on my Deity-
▶視聴はこちら

あかね色に染まる坂
▶視聴はこちら

あまえないでよっ!!喝!!

▶視聴はこちら

ToHeart Remember
my memories

▶視聴はこちら

あまえないでよっ!!

▶視聴はこちら