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UPDATE:2015.3.25

業界著名人がアニメ作品をオススメ!

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仕組みへの興味がメカの原体験
――まず、少年時代に好きだった作品について教えてください。
荒牧
同世代はみんなそうだと思いますが、小さいころはアニメ、特撮、何でも観てました。作品数も少なかった時代でした。特撮だと『ウルトラQ』(66)、『ウルトラマン』(66)、『ウルトラセブン』(67)までは間違いなく全部です。福岡市内から外れた田舎に住んでいたのでチャンネル数が少なくて、特にフジテレビ系が映らないから、『鉄腕アトム』(63/フジ系)は観ていません。アニメでは『スーパージェッター』(65/TBS系)なんか印象に残ってますし、一番好きなのは『エイトマン』(63/TBS系)でしたね。怪獣ものは好きでも映画館には連れていってもらった記憶がなく、映画の原体験は戦争映画の『トラ・トラ・トラ!』とリバイバルの『サウンド・オブ・ミュージック』で、福岡市内の大劇場でインパクトを受けて「すごいな」と感動しました。それ以前ではディズニーの「ピーターパン」や、「ワンワン物語り」をスクリーンでみた記憶があります。
――超大作だと、スクリーンが異次元空間みたいに見えますよね。
荒牧
飛行機が爆発する見事さが目に焼きついてしまい、忘れられない経験になりました。あれは特撮というより、本物に近いものを吹き飛ばしてますしね。それでも小学生の時は、特に映像系と言うわけではなくて、父親の車や、捨ててあるバイクをバラしたりして遊ぶことが多かったです。
――現実のメカからはいったというわけですか。
荒牧
父はモーターショーや米軍の航空ショーにも連れていってくれて、セイバーやファントムを見たりして、オモチャではなくストレートに実物を見ることが多かったです。それと機械の理屈が大好きで、小学校の理科室には4サイクルエンジンのカットモデルがあり、バルブの開閉機構をずっと見ていたりしました。3年生のときに授業でエンジンの仕組みを発表したら先生が非常に感心してくれて、エンジンへの興味がメカ好きの原点でしょう。
――「エンジンの仕組み」を習うのは中学のはずだから、だいぶ早いですね。しかも映像や外観ではなく、構造や仕組みから入ったというのは興味深いです。
荒牧
そんな感じで、メカへの興味とアニメとはもともと僕の中では別系統だったんです。それが見事に合致したのが『宇宙戦艦ヤマト』(74)で、1960年生まれなので、リアルタイムで中二の時期です(笑)。それまでアニメのメカはあくまでも「マンガ」と思ってましたから、アニメの世界に「リアルなメカ」が同居できることに、目から鱗の驚きがあったんです。それで松本零士さん関連の本は全部買うようになり、特に「戦場まんがシリーズ」にハマりました。第二次大戦の兵器類はタミヤのプラモデルを作り続けていたので、この時期にいろんな興味がひとつのものにまとまり、映像も大きな興味の対象になっていった感じです。
――アニメをつくる原体験はどうでしたか?
荒牧
小学生の頃から教科書の隅に、棒みたいなキャラがチャンバラするようなパラパラ漫画を描いてたりしました。ところがヤマトショック以後、戦闘機が狭い空間で飛び回るみたいなのに変わるんです(笑)。それぐらい影響は大きかったんです。もちろんヤマトそのものの絵も描いてましたが、テレビの映りが悪くてディテールが全然見えなくて、「オレヤマト」を勝手に描いてました(笑)。それが「自分の想像でメカを描く」ということの始まりではないかと。
――最初からオリジナルデザインですか(笑)。アニメ雑誌も創刊されていないし。
荒牧
そもそも「資料が本に載っている」という発想がなくて(笑)。『テレビランド』や『冒険王』は子ども向けと思っていて眼中にないし、周りにそういう友だちもいない。ひたすらザラザラした画面から想像で「オレ第一艦橋」を描き、特に松本メーターは毎日10個ぐらいは日課のように必ず描いてました(笑)。
――『ヤマト』が特別だと感じたところを、もう少しうかがいたいです。
荒牧
乗り物や機械の存在感が全然違うんです。ミサイルを撃つにしても「ガチョン! ガチョン!」と装填するシークエンスが入っていたり、砲塔の後ろには尾栓がついていたり。段取りやディテールの見せ方です。逆にメカしか観てなくて、後に「ヤマトの名セリフ」みたいな記事を見たら、まるで覚えてなかったくらいですから(笑)。実は中二のとき以来、断片しか見返していないんですが、メカの動きはいまだに覚えています。
――ヤマトに続く『機動戦士ガンダム』(79)はいかがでしょうか?
荒牧
そのころは大学生になったばかりでビデオを買った友だちもいたので、みんなで集まって全話観たりしてました。特に『伝説巨神イデオン』(80)は、通しで10回ぐらい観てましたね。
――どこが気に入ったのでしょう?
荒牧
メカ描写では後半の板野(一郎)さん担当のアディゴの動きとか、ガンガ・ルブとの戦いとか、無限ミサイルとかですね。でも、『ガンダム』『イデオン』では、むしろストーリーと富野(由悠季)さんのセリフ回しにシビれました。とはいっても、僕が特別にアニメが好きだったかと言うと、上京して、業界のみなさんの話を聞くと「俺ってメチャクチャ薄~いファンだったんだな」と思いしりました。まあ、まわりが濃すぎたというのもあるんですが。ガンダムと前後して、このころハリウッドの超大作SF映画が大好きになり、『スター・ウォーズ』(日本公開1978年)は受験生なのに10回ぐらい観たりして、頭の中でカット割りできるほどのめり込みました。これもアメリカ公開から日本公開まで丸1年間空いたせいで写真からの想像が膨らみ、『俺スター・ウォーズ』が脳内にできてしまい。だから最初に封切りされて見に行ったときは「絵で動かないのかよ!?」「出番これだけかよ!」「このシーンないのか!」なんて、ものすごくガッカリして(笑)。それでも面白かったですけど。
自主制作したアニメが評価される
――大学生活はいかがでしたか?
荒牧
そんな経験の蓄積のせいで、大学入った時から何か作りたくてしょうがない状態でした。ただし特撮は機材的にも技術的にも全然追いつかないので、画材店でセルを見つけ、ほぼひとりで3分ぐらいのアニメをつくりました。キャラ描ける人に2枚ぐらい人物を描いてもらい、他はメカしか出てこない。父親がスーパー8の8ミリカメラを持っていたので、編集機材ごと借り出して撮影して。それを人に見せたら意外と面白がってくれたんですね。
――サークルには入ってましたか?
荒牧
漫画倶楽部というサークルにいました。僕が2年生のときに部室がもらえたので、「これは何かすべきだ」とみんなをそそのかし、20分程度のアニメを制作することになり、題材は当初みんなで議論しましたが、最後の最後で「やっぱり僕がやりたいのをやる!」と主張し、月面でメカがドンパチする方向性の作品になりました。
――80年代だと、だいぶ情報も出回っていたのではないでしょうか。
荒牧
「アニメのつくり方」みたいな本もあったし、コマ送りのできるビデオが出たので作画の研究もしましたね。それで1年かけてそのアニメを部員の協力もあって、完成させたのですが、「自分には動かすタイミングのセンスや、アニメートの才能はないな」と限界も感じてしまったんです。岡山の大学でしたが、同じ年に大阪から「DAICON3」のオープニングアニメが世に出てきたりして……。
――なるほど、『アオイホノオ』の時期というわけですか。
荒牧
きっと全国同時進行で、似たようなことがあったということだと思います。それでも神戸の上映会に私たちのアニメを飛び入りで持って行ったら、自分で言うのもなんですけど会場が騒然となってしまったんです。ほのぼのとしたテイストの作品かアート系のアニメが多かったので、爆発とかいっぱいあるメカものは珍しかったんでしょう。それで「あっ、ちゃんとやれば評価されるものなんだ」とビックリしつつ、物作りに対する手応えを感じたんです。あれが「こういう仕事をしようかな」と本気で思った瞬間だったと思います。
――そのアニメ用のメカデザインは、ご自身ですか?
荒牧
そうですね。デザイン以外にも絵コンテから背景の原図から、ほとんど自分でやってます。ロボットも6メートルぐらいの小さめのを出して。
――『装甲騎兵ボトムズ』の4メートルサイズが1983年ですから先取りですね
荒牧
でも、宮武(一貴)さんに怒られそうなスタジオぬえっぽいデザインでしたね。そこは「DAICON」と同じ「お約束」って感じで(笑)。
メカデザイナーとしての出発点
――それでアニメ業界を目指したのは在学中になるのでしょうか。
荒牧
このままだと卒業できないと思ったので、21歳ぐらいのとき漫画家になった先輩のツテで東京に行き、先ほどのロボットのスケッチなどをデザイン会社へ、何社か持ちこみました。その中にタカラ(現:タカラトミー)の『ミクロマン』関係のデザインの仕事があり、フリーの立場で始めることになるんです。そのころ僕がデザインした中にラジカセなど日常用品が変形するシリーズがあって、それが後に『トランスフォーマー』に出てくるようになったりしてるんです。
――それはすごいですね。機構ごと考えられていたんですか?
荒牧
変形するブロックの動きなどはあらかじめ決められていて、それに対して「こういうアイデア、ギミックを入れたらどうでしょうか?」みたいに、外側のデザインごと提案する感じでした。10年位前に海外のイベントに呼ばれたとき、「こんなのもやってましたよ」と言うと、「もしかしてサウンドウェーブですか?」なんて驚かれたりして。僕の方は「サウンドウェーブって何?」みたいな(笑)。
――それは超有名キャラじゃないですか。生き別れの息子と再会したら大出世、みたいですね(笑)。それからアートミックに参加されるわけですが、企画会社という紹介で良いのでしょうか?
荒牧
ええ。企画とデザイン、つまりプリプロダクション関係を一貫でやってメーカーへ提案するスタイルの会社です。上京した年の暮れにはそこの社長と知り合って入社し、『(機甲創世記)モスピーダ』(83)のデザインの叩き台をつくり始めています。『(超時空要塞)マクロス』(82)が始まったばかりで人気が出ていて、後番組の開発が進んでいたんですね。僕から「バイクが変形するのはどうですか?」とアイデア出したら、即それで行くことになり。代理店や玩具メーカーへのプレゼンにも同行しました。面白かったし、勉強になりましたね。
――メインデザインですよね。ものすごいスピードで駆け上がっている印象です。バイクを選んだ理由は?
荒牧
東京に来て移動手段に250ccのバイクを買い、バイクブームもあって、それであちこち行ってました。ローンだったし転ぶと修理代もかさむので、「このバイクを元手に取り戻せないかな」と考えたのが原点です(笑)。それで真剣に検討してみると、人と同じぐらいのサイズなわけで、でもバイクがロボットになると、乗ってる人が外に余ってしまう。ならばパワードスーツとしてバイクを着せるのはアリかなと。模型をつくれる大学の後輩もいたので、ラフな立体をつくってプレゼンしたらこれが評価されて、すぐに番組が決まりました。こんな感じで、めでたくアニメ業界に潜りこんだというわけです。
――80年代初頭は、即戦力の若手にかなりチャンスのある時期でしたが、荒牧さんもまさにそのコースですね。
荒牧
特に河森(正治)さんの存在が大きいですよね。メカデザイナーから始めて自分の企画を出し、24歳ぐらいで劇場映画の監督をまかされたわけで、僕にとっては足を向けて寝られない存在です。OVAという新しいメディアも出てきたし、アニメ業界全体に「若いスタッフにまかせたら面白いものつくるかも」という気運、風潮があったんだと思います。当時は企画書にしても、紙ペラ1枚の文章にキャラデザインの絵をペタッと貼って出すと、パッと単発もののOVAが決まることさえありました(笑)。
――たしかに雑誌に載ったら、「あれ、もうできたの?」みたいな作品もありました。
荒牧
自主アニメ以外、特に専門教育を受けていない私が、最初の作品である『モスピーダ』の山田(勝久)監督に向かって「1話のコンテ切らせてください」なんて、いま考えると大それたことを主張してました(笑)。それでも「ドラマは俺がラフ入れるから、あとはやってみな」とクリーンアップのような形でまかせてもらいました(笑)。ありがたいはなしです。チャンスがあれば取りあえずやってみる、というのが当たり前だと思って、今だにその延長上でやっている感じですね。
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